23 自分の使っている時間は、あとで後悔をしない使い方ですか?

今日から令和が始まりましたね。

長い付き合いだった平成とのお別れは淋しいものです。

 

今日は家族で神社に行ってまいりました。 茨城の鹿島神社、伝説の侍である塚原卜伝の生まれた地です。


思い出は鮎の塩焼きを食べたこと。生きたまま焼かれてしまったんだろうなと思ったらなんだか切なくて、頭から骨も全部食べました。すごい苦くて、苦い体験をたくさんしてきた鮎だったんだろうと悲しくなった。。

 


鹿島神社は今まで行ったことがなかったのですが、とてつもない人の数。

みなさん御朱印を貰いに来たようで、その列は何百メートルとかってもんではない距離。

 

欲しいものに価値を見出して、並ぶのは全然いいことですが、それが時間を費やした分だけのリターンを考えられているかどうかを考えてみて欲しいです。

 

ニュースでもやっていましたが、明治神宮御朱印を貰うのに10時間待ちの行列ができていたとか。

私は10時間見ていたわけではないので、確かな情報であるかはわかりませんが、10時間はすごく長い時間であり、その時間は御朱印と対等なものなのか気になるところです。

 

1時間1000円の時給換算でも御朱印が10000円で売れたりしたら単純計算で元は取れているような気もしますが、なんとも罰当たりな考えです。

 

ちょっと気になってメルカリさんで御朱印を調べてみると5000円などで売られているんです。

なんのためのお守りなのか、いろいろ考えさせられました。

 

★今日の本題ですが、自分の費やしている時間は意味をなしているものか?

というもの

 

なにをしても後で正当化するので勝手に解決されてしまうのですが、本当にそこに意味があるのかどうか。

神社でお参りするのに長い行列に並んでお参りするのもなにか不思議な感じがしてならない。

 

列に並ばずに少し離れたところから本堂に向かってお祈りしてもいいんではないでしょうか?なんて考えてしまいます。

 

お賽銭を置くところはどこでもいいでしょう。そもそも神様にお願いごとを聞いてもらうためにお賽銭を入れているわけではないですからね!

 

生きていくなら考えて自分がより楽をするように生きてもいいなじゃないかな。って思った令和初日でした。