ドケチの俺が焼肉に15000円払った話。

焼肉にあなたはいくらまで出せるか、それは本当の上限か?

年末に大学時代の友人と4人で焼肉に行こうと誘いが来た。

最初に、せっかく久々に集まるし、年末なので銀座の焼肉屋で15000円くらいの美味しいのを食べに行こうという誘いが来た。

 

倹約家の自分は、当たり前のように断った。

「焼肉に15000円なんて出せない、そんな金あったら旅行に行けるやん」

と言った。

 

すると友達は、「いくらまでなら出せる?」

と聞いてきたので、

 

「出せて3800円」と答えた

友人と会うのが目的であって、高いものにお金を払うのが目的ではないという自分の価値観からすると、お金よりも時間を共有することに重きを置きたい。

 

友人は「割引券がある焼肉屋があるからそこへ行こう、3800円で済むから」

といい、店の地図を送ってきた。

 

銀座だ。

 

銀座なんて久々に行く、焼肉屋に着いてみると、メニューが7000円のコースからだ、

店も信じられないほど豪華だ。

これで3800円で済むならめちゃくちゃコスパいいなと思い、焼肉を食べてお酒も飲んだ。

 

焼肉は安めの焼肉屋とは違った、贅沢な味わいだった。

 

そして会計が4人で軽く5万円を超えていた。

 

人を動かす

最初に自分を誘った友達は、「3800円でいいよ!」

と私に言ってきた。

 

でも、明らかに自分が3800円払ったところでそれ以外のお金は誰かが払わなければならないということがわかる。

 

3800円もらって、残り3人で割ろっかという話を仕出したので、私はすかさず聞いた。

 

「割引券あって、みんな安くなるんじゃないの?」と

 

すると友人は「安いって言わないと、お前来てくれないじゃん。だから3人で残りの額を割るから大丈夫だよ」という。

 

そんな後味悪いことできないし、自分だけ安く焼肉くってこの後こいつらとどう接すればいいんだ、と思った私は

「会計を4人で割ろう、といい15000円を出した。」

 

友人はそれを見て、

「こうなるのをわかっていたから3800円って提案してお前を呼んだんだ。仲間を見捨てられないお前が、自分だけ3800円出して会計済ませるわけないからさ、何年の付き合いがあると思ってるんだよ」と言った。

 

完全にしてやられた。

一本取られた。

 

たしかに自分だけ3800円で友達に2万円近く出させられるわけがない、このシチュエーションまで考えて自分を誘い出した友達に、参りました。

と思った1日だった。

 

まさに人を動かすの一コマだと感じた。

 

年末からソロで胃腸炎連発・・・

2023年を胃腸炎で幕を閉じた

カンピロバクター感染で年末仕事

12月の最終週の初めに、オーストラリア時代の友人と久々に再開し居酒屋で語っていた。

お酒を楽しみ、つまみに色々食べていた。

 

そんなことすっかり忘れて仕事をしていた3日後のことだ。

なんだか、ものすごくだるい。。。

ただのだるさとは違った感じで、お腹も痛い。

 

トイレに行けば下しているし、お腹の風邪かな、と思っていたがそれにしても立っているのも辛く、仕事にも集中できるような感じじゃない。

 

何か変なもの食べたっけかな、と考えていると

居酒屋で3日前に鳥を食べたことを思い出した。

しかも生の地鶏だ。

 

友達が頼んで、酔っ払って何食べたかも分からないまま飲んでいたが、思い返せば生の地鶏を結構食べていた。。。

 

あー、やってしまったと思った時には遅かった。

仕事中に病院を受診。

 

病院受付にある、顔を近づけると体温が表示される機械に顔を近づけてみると36度しかない。

 

診察で症状を話して明らかに食中毒だという話になり、抗生剤と整腸剤と痛み止めをもらい仕事に戻ったが、仕事にならないため早退。。。

 

帰宅して熱を測ってみると38度もある。

あの顔を近づける機械は本当にただの飾りだろうというくらい当たらない。前に38度以上ある時に測っても36度くらいしか表示されない。

 

3回目だが、おそらくカンピロバクターで間違いない。

毎回生の鳥を食べると100%かかるが、数年経つとすっかり忘れてしまうから困る。

それに酔っぱらっていると余計に何を食べているかなんて分からなくなるから余計タチが悪い。

 

皆さんも鶏肉を生で食べる時は本当に気をつけてほしい。

安い居酒屋で少し凍っているような地鶏は危険極まりない

 

生の鳥を食べて、3日くらいしてからだるさと腹痛と下痢か吐き気があればほぼカンピロバクターといいう食中毒だろう。

でも安心してほしい、他人には感染しない。

 

なので友達とご飯に行ったりお酒を飲みに行っても平気だ、そんな元気があればの話だが、、、笑

 

年末の救急外来の地獄

それから年末の最後の最後の12/31に立てない朝を迎えた。

カンピロバクターは良くなってきたのに急にお腹の激痛と38.7度の熱と下痢だ。

 

家族は、インフルじゃないか、コロナじゃないかと焦って親父が自分を救急の病院に運んでくれた。

 

年末の救急外来なんて初めてきたが、信じられないほどの激混みだ。

椅子で寝転んでいる人もいれば、看護師にキレているおっさんもいる。

 

脇腹が痛いとか足が痛いとかできている人もいるし、本当にやばい人だけ来てくれ、、と思い自分も椅子で寝転んで腹痛に悶えていた。。

 

待つこと2時間半でようやく呼ばれ、コロナとインフルの検査。

鼻に如意棒を奥深く刺され(2回)

 

結果は陰性。

診断はまさかの急性胃腸炎

 

食事も取れないだろうから点滴して行ったほうがいいということで、ゆっくり寝て点滴でも打てるなら〜。と楽しみに待っていたら、ベッドが埋まっているため車椅子で点滴ということに、、

 

ぶっ倒れそうな中居心地の悪い車椅子で点滴。

 

結局5時間近く病院に滞在し、会計は全部で8000円ほどに。泣

 

帰宅して起きたら2024年になっていた。

日暮寝る男を思い出したが素敵な一年が始まりそうだ!

ヴァイオレットエヴァーガーデンは必ず見たほうがいい

久々にブログを書き始めるが、いざ書いてみると文章力が落ちていることに気づいた。

何事も継続が必要であり、ピアノと同じように毎日やっていなければ能力が低下していくこともある。

文章を書く力もその類かもしれない。

 

ネットフリックスで色々アニメを探していたが、最近ヴァイオレットエヴァーガーデンというものにたどり着いた。

泣けるアニメランキングを調べていて、どのサイトにも上位に入っているアニメだ。

 

知り合いに聞き回っても、見て泣かなかった人はいない。

色々あった京アニの作品だ。

 

いざ見てみると、面白い。というか重い。

話の内容は戦争で両腕を失った女の子が言葉の意味を学んでいき、人の気持ちを理解できるようになっていき、最終的に「愛してる」という言葉の意味の理解に辿り着くという話だ。

 

元々、戦争孤児だが戦闘における能力は凄まじく、たまたま拾ってくれた軍の少佐に生活の面倒を見てもらって、言葉も話せなかったところから文字と言葉を学んでいく。

 

少佐といった戦争の現場で、少佐が戦死してしまう寸前に自分へ放った「愛してる」という意味がわからず、その意味をずっと知りたいと思っていた。

 

そこで、手紙を代筆する仕事で人の気持ちを手紙にしていけば愛してるの意味がわかるのではないかということもあり、代筆の仕事をして人間として変わっていくというストーリーだ。

 

戦争にずっと行って、戦闘訓練と報告書の書き方しか分からなかったところから、いろいろな人へ手紙を書き、人の気持ちや言葉の意味を一つずつ理解していく。

笑いあり、涙ありの名作だと思った。

 

Netflixで13話でコンパクトで終わってここまで完成度が高いのかと、京アニのすごさを感じた。画質もよく、元々小説だった話を映像で再現する技術も本当に素晴らしい。

 

13話に加え、スペシャルの特別の回と、映画版もあるのでぜひ見てほしいが、注意としてみる順番がある。

 

★必ず13話が終わってから映画を見ないと大変なことになる。

 

映画がアニメの続きの話になっているからだ。

たまにヴァイオレットエヴァーガーデンの映画だけ見て全然面白くなかったという人がいるが、最初の話を見ていないと内容は理解できないし、最後のオチを最初に見てしまうという人生でもったいないことをしてしまっている。

 

鬼滅の刃でいう、アニメ編を見ずにいきなり無限列車の映画を見るよりもったいない。

 

自分はたくさんのアニメを見てきたが、間違いなくトップ3に入る。

話の数も13話で終わるという点も考えるとNo.1だ。

 

神回と言われる回も入っているのでぜひ見ていただきたい。

そして、その感想を教えてほしい。

 

もし泣けなかったら申し訳ないが、我々がいかに人に忖度している種族かということを理解させられ、自分の意思をどれだけ人に伝えられているかということを考えさせられる作品だ。

 

自分が正しいって強く思う時ない?筋の通し方は人それぞれだ

筋の通し方に正解はない

最近このことについて、改めて考えさせられることがあった。

久々に後輩の女の子と話をしたら、「会社をやめようと思っているんです。」

なんていう事態になっているという。

 

自分としてはなかなか連絡が取れず話を聞けなかったので申し訳ないと思っていたが、話を聞いてみると自分に合わない上司がいて、適応障害のような症状になっているという。

 

適応障害について

そこで適応障害について少し書くと、以前自分が精神科のあるところで仕事をしていて思ったのが、ほとんどの患者は適応障害ADHDだったということだ。

ADHDは集中ができにくかったり、忘れ物が多かったりなどだが、今回はそれは置いておいて、適応障害とはある状況に適応できなくなっている状態のことである。

 

会社に行くのが嫌な場合は、会社という状況が嫌であり。本当に苦手な上司がいたとしたら、その人と会う状況に体が強い拒否反応を示して体が通常の状態で適応できないような状況になっているということだ。

 

それがもっと重いのがうつ病だ。

うつ病は明確な原因がわからないため治るまでも時間がかかる。

 

言い換えてみれば適応障害は、環境を変えれば早い段階で元に戻る。原因がわかっているからこそ薬は効きにくい部分もあるが、

嫌いな人がいるなら、その人と会わなければいい。

行きたくない場所があるなら、そこへ行かなければいい。

 

と、言葉では簡単だがそういうわけにもいかないんだよ。というのが多くの意見だと思う。

自分も同じように思っていた。

 

会社をやめるのもやめないのも選んでいるのは自分

「会社やめられるんだったらやめているよ」と昔は何も考えずに言っていたが、最近ではやめたければやめればいいと思っている。

 

よくよくそのことについて考えてみると、やめないで会社に所属しているのは自分自身の決断である。別に手足を縛られていたり、身内が人質に取られているわけでもないのに、会社辞められない。と決めつけていたことに疑問を感じる。

 

その会社以外雇ってくれない、とか、長く勤めていたから辞めたらもったいないとか、そんな意見があることとやめられないことは、まったく別次元の話だ。

 

前者はやめたくないだけで、やめようと思えば辞表を書けばいいだけだ。

でも、なかなか多くの人は簡単には辞められないという。

 

 

自分の体が壊れようとも、今の状況を手放せない。

私から伝えたいことは、健康よりお金や地位が大事なんてことがあるのか?疑問を持ってほしい。

 

自分は人生で10個以上の職場についたことがあるが、場所を変えれば人を求めている場所はどこにでもある。

会う人が変わればその人の人生自体が変わることもある。

 

そのチャンスを逃してまで、何にしがみつくか。

手放せば新しい何かを掴むチャンスがある。

 

それは手放すまではわからない。

もちろん自分の意見が100%正しいなんてこれっぽっちも思っていない。人それぞれ考え方や筋の通し方がある以上、自分の好きなようにふらふら生きればいいとも言えない。でも健康が一番という意見よりも良い意見があったら教えてほしいです。

 

それくらい多くの人に自分自身を大事にしてほしい、と感じた1日でした。

図解:沖縄には肥満の方が多い、というので原因を考えてみた

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肥満率トップの沖縄

沖縄に移住して学んだことがたくさんある。

・優しい人が多い。

家族や周りとのつながりが強い分助け合いの精神が強いからだと思っている。

・お酒強い人が多い。

人口の割合に対して最も居酒屋が多いのは沖縄と言うデータもある。

・泳げない人が結構いる

全員泳ぎをマスターしているというイメージがあったが、実際にはそうでもなく「海は飲む場所だよ」という意見も良く聞く。

・時間を守らない

うちなータイムという、沖縄特有の時間間隔もある

 

などなど、まだまだあるが一番気になったのは、

「太っている人が多い」ということがある。

 この現状について考察していくが、別に沖縄の人を馬鹿にしている訳ではないのでそこはご了承お願いいたします。

 

大人になると太るのか

東京に住んでいた時は気にならなかったが、沖縄に来て太っている人が多いというのがすぐにわかるくらい多い。

 

そら、おっさんとかおばさんなら太っている人も多いでしょ?

と思われるかもしれないが、若い人でもおばあさんでも普通にいる。

 

薬局で仕事をしていると、膝が悪かったり腰が悪かったりする人がいるが、その8割くらいは肥満の人だ。

痩せていて膝が痛いという人はそんなにいないように感じる(私目線)

 

※ちなみに、腰痛も膝痛も当たり前だが、肥満が発症リスク因子になっている。

 

だが、不思議なことに、子供や学生は痩せている子が多い。

ということは大人になるにつれて太っていく原因があるはずだ。

 

めんどうくさがりな性格

めんどうくさがりな人と言うのは結構どこにでもいるが、沖縄で面倒くさがりな人と会う機会はかなり多いように感じる。

南国では働かない人が多いと言うが、いろんな国を旅して比較してみた結果としても、働かなくてもなんとか生きていける場所ではやる気なくだらだら生きている人が多いように思える。

 

沖縄で太っていて、腰やひざが痛いという人に、

「少しでも歩く時間を増やしてみたらどうですか?」と提案すると

 

 「運動は面倒くさいのよね」

      とか

 「歩いている所を誰かに見られたら恥ずかしいのよ」

なんて答えが返ってくる。(太っている方が恥ずかしいとかそういうんじゃないんだ。。と不思議な気持ちになった。。。)

 

謎に混んでいる外食

弁当のチェーン店などに行くと、すごい太っている人を頻繁に見かける。たまたまかもしれないが、これも肥満の原因なのかもしれないと思って調べると。

質の悪い油は肥満の原因にもなるようだ。家で自炊するのが面倒臭いという派生で外食に出かけているのかもしれないが、結局体に悪い物を我慢できずに食べたり、怠惰の末に楽な方を選んでいる結果と言う見方もできる。

 

まとめ・太る原因は・・・

めんどうくさがりの性格のせいだろう。。

これはすべて私なりの考察だが、下は私が作った図である。

面倒くさがりから色々な生活習慣の悪化などにも影響を与えているような気がしている。

少しでも新しいことをやってみようという気にならないのも環境要因がありそうだが、面倒くさいという感情はやはり人間を腐らせてしまうのではないだろうか。

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デブの図

 

 

死にたいのに死ぬ自由すら与えられない日本

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死にたいというおばあさんの話

年齢が90の患者さんで、「歳とってもなにもいいことないから早く死にたいんだけどね~」

と結構真面目な顔していうおばあさんがいる。

 

私は、「この人たちの医療費が1割で済んでいるのは、その分の税金を払って働いている人たちがたくさんいるからなのに。。。」 と思い悲しくなる。

 

そもそも日本は、寿命が異様に伸びていて、これは果たしていいことなのか?

と疑問に思うことがよくある。

長生きは本当にいいことなのか?

長生きしたくて、生き甲斐があって生きていればまだ問題ないと思うが、

嫌々生きていたり、ただ毎日時間が過ぎるのを待って生きている人を見ていると、人間ってこういう生き物なのだろうか?と思ってしまう。

 

そもそも日本には、治療中に死にたくなったら死ぬことが出来る、という安楽死の制度がない。

重い病気で、入院して治療して、死にたいのに死ぬ自由さえ与えられていない。

安楽死

安楽死のことを、スイスで安楽死したオーストラリアの環境学・植物学者デイビッド・グドールは

「ふさわしい時に死を選ぶ自由」 と定義している。

 

体が動かなくて、話すこともできず、激痛だけが走る中で自分だったら生き続けることほどつらいことはないと思うが、ここで死なせてもらえない日本の制度は本当に正しいのだろうか?

 

多くの医療面から見た利益が見込めるという理由が関係しているのかもしれない。

それが理由なら安楽死の制度が取り入れられることはまだまだ先になりそうだ。。。

 

ちなみに、スイスのディグダニスという団体は、医師・看護師が自殺を助け70万円ほどで安楽死ができるらしい。

 

生きていたくないけど、死ぬ勇気もない。

からしょうがなく生きているという人は、私が会ってきた中でも意外にも多い気がする。

死ぬ理由も生きる理由もないようなもの

「生きていればいいことがあるよ!」

なんてクソほど無責任な事を言う人は最近少なくなったが、今の30代以下の人達にしてみれば、この先に普通に労働者と生きていたら絶望しかないと言っても過言ではない。

 

以前、山口尚さんの「幸福と人生の意味の哲学」と言う本を読んだことがあった。

死んでしまいそうなくらい辛いのになぜ生きていかなければならないのか?というようなテーマの本だが

、結局明確な答えは見つからなかった。

 

我々は答えのない世界で生き続けている。

死にたい人は自殺して、生きていきたい人は生き続ける。それはある種答えを見つけた人たちの目的を果たしたものとみれば、自殺してしまうということは悲しいものだが、本人の自由という見方から合理的な決断の一つなのかもしれない。

 

「死にたい」と言う人がいて、「死ぬな」と言う人は、その人の自由よりも、知り合いが死ぬと悲しい、死んでしまったらもう会えない、という自分の欲求が優っているのではないだろうか?

 

生きていくことが本当に正しいのかという答えを誰も知らない中で、自由よりも大事な選択はあるのだろうか?

薬剤師って意外に役に立ってるかも。と思ったこと

薬剤師の仕事は楽だと思われている

子供の頃友達に言われたことがある。

 

友人「日本で一番楽な仕事って何か知ってる?薬剤師だよ」

自分「なんで?」

友人「ただ紙に書いてある薬出せばいいだけの仕事でそんな動かなくて済むからだよ」

 

そんな話を人生で何人かにされたことがある。

 

確かに、自分で薬剤師をしていても楽な仕事に見られてもおかしくないように思う。

それは頑張っている姿は人前に出せる仕事ではないからだ。

 

頭を使っている部分は患者には見えない

薬剤師の仕事で患者の目から見える部分は、処方箋を受け取って書いてある薬を渡して説明するくらいにだろう。付け足してもそれ以外の部分はほとんどと言っていいくらい見えにくい。

 

薬があっているのか本や知識などを使ってチェックしているところや、

薬の手配をするところ、

一人一人の記録を書き前回との変化などに気づくこと、

症状や生活様式から病態の原因を突き出すこと、

 

などなど、まぁ見えていない薬剤師の重要な仕事だろう。

 

薬剤師は最後の砦

以前は、医者が薬をそのまま診察した後出していた、薬があっているのどうかなどのチェックは今ほど厳密にはされていなかった。

 

今は薬剤師という別のフィールドの人間がチェックをすることで未然に防げているであろう事故が数えきれないほどある。

 

もちろん見過ごしてしまって、運よく事故になっていないこともあるだろうが、意外に薬剤師は頑張って機能しているな、と我ながら思うことがある。

 

患者の薬の変化に気づく

最近、薬剤師をしていて、案外役に立っているのかもと思ったことがある。

 

一人の患者さんが飲んでいる薬が、前回よりも減っていることに気づいた時のこと。

 

自分「〇〇さん、前に薬増えたけど、症状がよくなってまた元の量に戻ったんですか?」

そういうと、

患者さん「そうなのかな?特になにも量が変わるなんて聞いてないけど、」

 

というような流れだったので病院に確かめると、以前のデータを引っ張って処方してしまったらしくて、今回の処方量は間違いだったと気づいた。

 

自分は、こんなこと日常茶飯事なので別に気にお留めていなかったが、その患者さんから

「こんなことがあるのね、薬剤師さんがいてくれてよかったよ。」

そういわれた。

 

自分ではまったく意識していない当たり前のことだが、こういう風にピックアップされると、なんだかいいことしているんだな、と変な気持ちになった。

 

薬剤師はお金と一緒にありがとうをもらえる仕事。

正直、自分は薬剤師という仕事がそこまで好きではない。

がつがつしている自分にとっては、もっとばりばり働けるオフィスや外回りの仕事に憧れがあるから、そういう人には薬剤師は向いてないような気もする。

 

イメージとしても心優しくておとなしい人の方が薬剤師には向いていると思う。

 

自分はバーの店員さんのように、気さくに話しかけていろいろ話を聞いたり面白い返しを心がけて提供できるようなスタイルでやっているが、お金と一緒に「ありがとう」という言葉をかけてもらえるという視点で考えると、薬剤師も捨てたもんじゃないのかもしれない。