127話 杖を突いて病院来て、忘れて帰る老人たち

自立していると思っていても心のどこかで何かに頼ってないと生きられない人たちがいる。

 

仕事中に病院によく顔を出す機会があるが、受付カウンターの下に杖を忘れるている人がいる。

これは稀にとかではなく、すごく頻繁に見かける。

 

病院の受付の人に、「誰か杖忘れてますよ。」

という、彼らは、「杖が無くても歩けるってことは、元気な証拠ね!」

 

というが私は、問題は表面的なそこじゃなくて

歩けるのに杖を持って歩き続ける老人が多いことが問題だと思っている。

 

そもそも病院に来る意味はあるのか、

高齢者のコミュニティとして、病院に来る人や、人に触れてほしいという気持ちを持って医者にかかる人が大勢いる。

 

これは核家族化がもたらした現実かもしれない。

 

 

 話しを戻すと、歩けるのに杖を持つというのは人生に保険をかけている。

保険をかけることは悪いことではない、私も保険会社の株をたくさん所有していたからだ。自分では入らないのに保険会社の株を持っていた。(今は売却済み)

 

よく計算したり、社会の仕組みを知れば保険は損をする。でもほとんどの人は損をしてでも保険をかけたがる。

 

よく女友達から、「安定しているから公務員がいい。」

ということをよく聞く、それくらい今は不安が多い社会になっているということかもしれない。

 

 

ちなみに私は『安定』という言葉が嫌いだ。

人生に保険なんてかけんなよ!と思いたくなる。

 

私の経験からすると、オーストラリアでスカイダイビングをした時に保険を全部外して空から飛んだ。

スカイダイビングなんて危険なことをやるときは保険の契約書を交わさなければいけないのだが、

私は

「そんなものにお金を賭けたくないから安くなるなら保険を外してくれ」とオーストラリア人の係員に言ってとんだ。

 

保険がなければ、ハラハラとお金を手に入れられる。

 

それがいいか悪いかは人それぞれだが、ただ不要なものに頼って無意識のうちに損をすることは正解とは言えないのではないか?と感じてしまう。

 

昔、反町隆史GTOと言うドラマで、

鬼塚が、「将来が保障されてないとなにもやっちゃいけないのかよ!未来が分からないから人生は楽しいんじゃないのか!」

というようなことを言っていた。

 

まさにこれだ、見えないものは不安、という裏を考えてほしい。

見えている未来をただ生きることは楽しいのかと。