昨日は高校の友人と、初めて新宿の相席屋に行ってきた。
否定的な意見を言うのはあまり好きではないが、まーひどい。
この話はただ私が未熟で子供なだけの話だ。
私が言った相席屋は男の人が全額出すシステムで、30分およそ1800円チョイ。
普通の居酒屋に換算して2時間いても1800×4で7200円は結構いいお店に行ける値段だ。
結局来た2人の女の子はいくつかわからないとても微妙な子だ、話も特に中身のある話はしていなかった。
なんだか悔しいので周りにどんな子がいるのかトイレに3回ほど行って見回ったが、可愛い子もいたが、おぉ!って心臓が止まるようなほど響く子はその時にはいなかった。自分の理想が無駄に高いだけかもしれないが。
自分は長くても1時間で帰るつもりだったが、気づいたらアホな話で1時間半ほど回ってしまっていた。
友達は片方の女の子を気に入って「他の場所で飲み直そう」といったが、
その子は「まだご飯食べたいんで」とそこに残った。
私達の容姿も、態度にも難があったのかもしれない。
だが、私はこんな子にお金と時間をかけているのが、なんだかもったいなさすぎて辛くなった。
この子達に罪はない。
ただこの子達は人のお金で飲んで食べてができていることを忘れてしまっているまだまだ未熟な魂なのだろう。
そしてこのシステムに来た自分が悪いと改めて感じた。
ここで意気投合して付き合ったりもするのだろうけど、なかなか珍しい気がする。
まず、女の子は無料で飲み食いができるというシステムの時点でフェアじゃない。
自分が女の子だったら絶対に飯代を浮かせるために通うかもしれないだろう。でも、それはお金を払ってくれる人が居るからだと言うことを忘れずに感謝の一礼を忘れないはずだ。
興味本位と人生経験のためにきたが、なんだかこんなにやるせなかったのは久しぶりだった。
★今日の本題だ。
自分はどこかの看板を背負っているのかもしれない。
私は二度と相席屋にはいかないだろう。
でももし、初めてで会った人が可愛くてものすごく性格が良さそうな人だったら、はまっていたかもしれない。
むしろハマらなかったという点には、初めて会った未熟な魂にも感謝している。
これは言い換えればその子達は、私にとっての相席屋の看板だったのではないだろうか。
以前海外で、日本人がいい人だから好きで本当に日本人には優しくする。というオーストラリア人のおっさんがいた。
ただ、それはその人が初めて会った日本人がいい人だったからだろう。
もしそのおっさんが、初めてあった日本人が性格の悪い小生意気なやつだったら、「日本人は悪い奴だ」と日本人には優しくなかっただろう。
気づかぬところで日本という国の看板を背負っているかもしれないし、相席屋の看板を背負っているかもしれない。
どんな時も感謝の気持ちを忘れずに、自分に恥じぬ生き方をしていきたい。まだまだ未熟な自分を思い知らされた一日だった。