今日から出勤だ。長い連休も終わりなぜかどんよりとした空気も漂う街中。
電車ではいつものように誰かが具合悪そうにしている。
たまたま、隣に座っている若い男性がずっと鼻をすすっている。
うるさいのもあり、鼻をかんで欲しいという気持ちもあったが、彼はおそらく、ちり紙を持っていないのだろう。
自分も持っているかな?と思いながらバッグを漁っていると、ポケットティッシュがあったのであげようと思ったが、なぜか一歩進み出せない。
おかしい。海外にいるときはこんなの気にしなかったのに、日本に来て少しおかしくなった気がする。
ティッシュをあげることに不思議な抵抗があった。
ティッシュを上げれば彼も鼻をかめるし、自分を鼻をすする音も聞かずに、人助けに貢献できwin-winのはずだが、体が動かない。
これは倒れている人を見て、多くの人が助けることができないのとなにか似ているのかもしれない。
自分が困っていたら助けて欲しいけど、自分は助けたくないという心理。
ほかの人とは違うことをやってはいけないという洗脳のような不思議な気持ち。
悲しくなった。ティッシュすら隣の人に上げられないなんて自分は一体何のために海外まで行って生き延びたのか。。。
そう思ったら不思議と体が動いて隣の青年にティッシュをあげた。
「助かります。ありがとうございます。」と彼は言った。
特に大した返事はできなかったが、朝からすごく幸せな気持ちになれた。
人のために自分が尽くすことに恥ずかしさを持っていることに恥ずかしさと損を感じた一日だった。
周りの目なんかどうでもいい。もはやそんなとこ見てないだろう。
自分が着る服なんてみんな見てない。見てないのに、一生懸命時間をかけて選ぶのはなんのためなのか。自分の自己満でしかない。
他人の服なんてよっぽどイカれてる服じゃないと覚えてないのと同じように、自分の服なんて誰も意識してみない。
自意識が過剰になるように教育された我々の変化への挑戦は大きなものだろう。。