37 オーストラリアで出会った旧友に会いに名古屋へ

まだ時間があるので、以前オーストラリアで出会った日本人の友人に会いに名古屋に向かった。

 


オーストラリアで一番名残惜しい別れをした5つ上の兄さんのような方だ。あにさんと呼んでいる。

 

英語学校が同じというだけで、クラスも違うし、たまたま共通の友人がいて話すようになった仲だ。

あにさんは毎日朝9時に学校に行って、夜の9時まで勉強していた。

 

毎日のように飲んで遊んでいた私は、そのあにさんの姿を見ていて、飲みに誘わずにはいられなかった。

 

せっかくオーストラリアに来て、毎日勉強するのもいいですが、たまには飲みましょう!といきなり話しかけた。

内気な彼に、何度も断られたが、なんだかこの人とはすごく仲良くなる気がすると思って何度も誘っていた。

 

ある日、私の家のシェアハウスで友達を6人ほど呼んで飲み会をやろうとなった時にあにさんも来た。

飲み会はみんなの母国語で下ネタを3時間ほど語るような会だったが、めちゃめちゃ盛り上がった。

 

あにさんとは、それから何度も飲み会をするようになった。

 

その後、一緒にグレートバリアリーフシュノーケリングをした。誰もいない浜辺の2、300メートルほど沖に行ったところでサメが横を泳いでいた。私は大パニックになり、本気で死を覚悟した。

あにさんは冷静に、先もどってていいよー といってゆっくり平泳ぎをしていた。

 

二人で無事に砂浜まで戻ったが、私は終始パニクっていた、あにさんは笑っていた。

なんだか静かな人はこんな時でも静かなのかとびっくりさせられた。

 

なんだかんだいろいろ思い出はあるが、

彼は気づいたときには毎日の勉強という習慣をなくしていた。だが、後悔をしていなかった。

むしろ自分はあにさんに感謝されていた。

 

英語は書くよりも話して学ぶと楽しいって。気づかなかった。と言われた。

 

それを聞いて、自分は人の役に少しでも立てたのかな。とふいに思った。

 

あにさんはしばらくして学校を卒業し、シドニーへ向かう事になる。

私は友人数名とあにさんを空港まで送った。

 

そんときに私はオーストラリアに来て初めて泣いた。人とお別れするときに泣いたのは初めてだった。

一生会えなくなるわけじゃない、ただ自分は自分の存在価値を認めてくれたあにさんが離れてしまうことがすごく寂しく思えたのかもしれない。

 

たった3ヶ月ほどしか関わってないのに、太い絆ができるということにすごく驚いた。

 

そして1年以上ぶりにあにさんに会いに名古屋へ行った。あにさん以前から結婚を約束していた彼女と結婚していた。

友人の幸せはこんなに嬉しいものなのかと感じた。

 

私はご祝儀を渡して長らく語った末に帰った。

一万円を入れたらご祝儀の封筒には「壱萬円」と書かなければいけないらしい。

 

私は壱万円と書いていた。 旧漢字と今の感じが交わってわけわからない感じになっている。

だが、意味は通じる

 

人も同じで歳が離れても、きっと心は通じ合える。そう思えた一日だった。