38 岐阜で学んだ、自分を持つことの大切さ。

名古屋から岐阜に行き、オーストラリアで会った友人に会いに行った。



なんとも男らしいカッコよくて優しい男だ。

 

昔は女の子だという話を聞いたときは本気で驚いた。しかも彼はあるパーティで10人以上もいる中でそのことを突然打ち明けた。

 

「実は俺、元は女の子だったんだよね」

と、すね毛もヒゲも、毛深いと言われる私とタメを張るほど有り、タバコを吸っているおっさんのような風貌の彼からは想像もできないものだった。

 

ただ単に自分は、「こいつかっこいい」

とそれだけ思った。自分の弱みをみんなの前で打ち明けることほど勇気がいることはなかなかない。

 

弱みを見せるのが苦手な自分からすると、本当にかっこよかった。

彼とは何度か遊んだ程度だったが、印象には刻むほど深く印象の残った存在だった。

だからこそ、オーストラリアを離れても会いに行こうと思ったのかもしれない。

 

彼の強みは男の子の気持ちも女の子の気持ちもわかるということだろう。

これはほかの人にはない、ある種最強の長所だと思う。

 

今思い返すと、私がもともとうつ病でオーストラリアへ来たという話を聞いて、彼も自分の秘密を打ち明けようと感じたのかな。と思ったのかもしれないなと思う。

 

人はみんな自分の弱みを少なからず持っている。

もし自分に弱みがいっこもなかったら、人のことを見下さずにはいられないのではないかとすら考えてしまう。

 

弱みは、見えないところで自分のことを支えている部分なのかもしれない。

弱みがあるから人は頑張って生きていけるのだろう。人を見下して生きて言っても、その先に一体何があるのだろうか。

 

うつ病でも、アトピーでも、トランスジェンダーの方でも、人の目なんて気にしないで生きていこうじゃないか。

 

私は自分の悩みで押し潰れてしまいそうな人たちが、もっと自分を出して生きていけるような場を、空気のいい環境で作っていこうと思った。

 

私のニート生活はまだ続いている。

 

ニートというとすごくカッコ悪く聞こえるが、人間の求める最後の地はニートなのでhないかと思う。

 

そして、若くしてこの境地に入ることはものすごく勇気がいることだとすら思っている。

 

ニートやひきこもりを多くの人が蔑んだ目で見て、馬鹿にするが、ニートになろうとする人はいない。

 

ニートになるには素質がいる。

 

ニートやひきこもりになることは、もっとも難しいことのひとつではないだろうか。

 

私はもうすぐ働き出してしまう。それは周りがどうこうではなく、自分の追い求める夢のための手段としてだ。

 

人は他人の立場を経験してこそ大きく成長できると思った一日だった。