今日は高校時代の仲間と飲みに行った。
1人は、一流企業でバリバリ働くサラリーマンのキンちゃん
1人はプロのバンドマンを目指してバイトとライブを続けるイケメンのアナリアン
1人は子供の頃からの夢を叶えた中学校の先生(女)のバタボー
みんなそれぞれ別の道だが、話してみると面白い。
バイトしながらバンド活動をしているアナリアンの人生というのはとても奥が深いと感じた。
以前ばりばりのサラリーマンをしていた私は彼の生き方に対して否定的だった。
私は、正社員として胸を張って生きていくのが当たり前だという国の風潮にめっきり流され、なんの疑いもせず、フリーターやニートを否定する側に居た。
今思うと自分のやりたいことも押し殺して、自分を壊してまで働いて何をやっていたんだろうとすら思う。
それを踏まえて、フリーターとしても夢を追い続けて、しっかり税金も収めてやりたいことに突き進んでいくアナリアンの生き方は本当にすごい気がした。彼は大学を卒業して、就活をせず、プロのバンドマンを目指した。
おそらく反対意見も多かっただろう。先生も家族も友人も反対する人は何人もいたのではないだろうか。そこに抗う精神はなよなよした彼の見た目からは想像もできない。
そして、また一人。。
子供の頃から先生になりたい。と勉強をして、夢を叶えたバタボーは今になって人生の分かれ道に立っていた。
先生という仕事は、我々が子供の頃と比べても状況はガラっと変わってしまったようだ。
周りの目を気にして生きていく環境、生徒の親からのバッシング、ブラック部活などと言われるサビ残。
そこで自分の生き方を問い始めていた。
私は生き方についてアドバイスを求められることがよくあるが、まず答える言葉がある。
「自分が正しいと思うことをすれば後悔しない」
人生はそれに限る。
これは私が日々の瞑想の末に導き出したものだ。全ての人に当てはまるかどうかは保証はできないが、確信がある。
自分がやりたくないことのみをして、幸せだ なんて感じられる日は来るのかと。
時代がめまぐるしく変化していく中でのある種の下克上が起こりつつあるのではないだろうか。
お金という評価は確かに存在するが、
我々は無意識のうちに
ニート≪フリーター≪正社員
というヒエラルキーを作ってしまっているような気がするが、生き方としての自由度、幸福度は逆ではないか。
人間の求める最終地点はニートのような生き方だ。
頑張って働いている人ほど、ニート、ヒキコモリを否定する。それはある種の嫉妬の表れではないだろうか。
正社員として時間の大いに取られてしまい後悔したままだらだら働いている人を見ると辛くなる。
生きるためにはお金が必要だ。
働かない、税金を納めないことがいいというわけではないが、不労所得を得る方法などはいくらでも存在する。
ニートの下克上は今まさに発展途上の状態にあると思う。