最近アラジンの実写版が上映されているようだが、つい先日はテレビでアニメのほうがやっていた。
久々なので録画して見てみた。
子供の頃と今とでは見方が全然違うことに驚いた。
ストーリーは大まかに、アラジンとジャスミンの恋愛。ジーニーというランプの魔神がランプの持ち主のアラジンの願いを3つだけ叶えられるというものだ。
ストーリーの途中でアラジンという貧しくものを盗んで行きつないでいた青年は、王室で豪勢だが窮屈な生活を強いられて逃げ出した王女のジャスミンと出会う。
ここで二人はお互いが持ち合わせていない自由を持っていることに気づく。
アラジン:行動の自由、お金の不自由
ジャスミン:行動の不自由、お金の自由
ジーニー:行動の不自由、お金の自由
という構図があるが、この構造が全て自由になりハッピーエンドになる物語だ。
ストーリーで最後の見せ場ともなるアラジンの3つ目の願い。
それはランプの魔神として生きていかなければならないジーニーに自由を与えるというものだ。
なんでもできる能力を捨ててまで友達の願いを聞くアラジンの器が見受けられる。
ジーニーはストーリーの途中でこんな言葉を残している。
「どんな宝でも、どんな魔法でも、自由には勝てない」
ジーニーはどんなことでもできる。お金を出したり、誰かを倒すことも。でも持ち主の言うことには絶対に従わなければならない。
それが彼には苦痛なのだと思ってしまった。
どんなにお金があっても、自由、すなわち時間がなければそれは幸せなのだろうかと疑問に思ってしまうことがある。
それだけ自由というものの価値は大きい。そしてアラジンという映画の中では、自由の大切さを伝えようとしているのではないだろうか。
以前、くまのプーの実写版を見たときも同じように自由というものの大事さを伝えていた。
人は自由を失うと本当に大切なものを失いかけていることにも気づかなくなるのではないだろうか。