それは自分に害を与える執着じゃないかい?

昨日は一人シュノーケルというクソ危ない遊びをした。

水中カメラを試したが、全然見えず撮り方がへたくそなので今後練習していこうと思う。

 

 

夜は、オリオンビール祭りというのがやっていた。石垣島では毎年やっているらしい。

 

知り合いのグループに参加させてもらい、リゾートバイトで来ている人たちと一緒に飲んで話した。

 

お祭りはライブ形式でトリにはナオトインティライミがきた。

歌は一曲も知らないが、プロというだけあって、本当に歌は上手いと思った。


 

その後、その元もとの知り合いは先に帰ってしまって、始めましての人たちと居酒屋へ行くことになった。

みんな普通の人だ。

 

リゾバで来る人は3ヶ月とか6ヶ月とか安全パイの考え方で、

移住する人は考え方が飛んでて面白い人が多いような傾向にあるのではないかと感じた。

 

話に中身が無い。

私は1杯だけ飲んで帰った。別にこの人たちとここで自分にとって価値を生み出す可能性の低いと思った時間を過ごしてしまうことは、友達というものを得たいという執着でしかないと思った。

 

友達というものはいなければいけない、という価値観を植えつけられているが、それは欲望というより執着しているだけである。自分が嫌だと思う仕事をなかなか辞められないのも執着である。

 

だらだら付き合っている恋人となかなか別れられないのも執着。

 

サンクコストの概念である

パズドラをしている人がやめられないのも、それまでに時間とお金をたくさんかけてしまっているから、今辞めるともったいないという謎の縛りで止めるべき事に正常な判断を下せなくなる

 

執着=無意識に自分を縛ること

 

私はこう考えている。悩んでいるということは執着しているからだろう。

 

周りがこうだから、とかこうあるべきだとか、そんなことは自分で変えていけばいい。

 

自分の人生なんだから。

 

楽しくない奴と一緒に過ごす時間は、勇気を出して席を離れて別のことをしたほうが自分のためかもしれない。

 

何が大切かを考えていこう。共に