これは私が考えている最近のテーマだ。
私の周りにはこんな人がいる。生活水準が落とせない。
これはある種人間のホメオスタシスの現状を維持したいという機能が働いていて、人間としてなんらおかしくはない。
でもこの生き方は結果として人生をよくない方向に誘ってしまう。
私の元へ相談に来るK(20代後半女性)は結婚相談所に行っている。もちろん何十万円もするし、行ったから必ず付き合えるかというとそうでもない。多くの同性ライバルが見えないながらも潜んでいる。
自分だけの感覚でえり好みをしてしまっても、自分よりもいい人を見つけてしまった異性には見向きもされない事があるようだ。これはマッチングアプリでも同じことが言える。
ここで生活水準が高い女の人で家がすごい資産家の人がいる。
その人たちのリスクは、生活水準を下げられなければ、必然的に年収が高い相手を求めなければならない。
年収が高い人を狙う事は激しい異性の争奪競争に入り込まないといけない。
年収が1千万円以上の男の人じゃないとダメという理論は、馬鹿げてる。と思う人もいるかもしれないが、実際にこんな考え方を持っている人は巷には意外と存在する。
その人たちは結論から言うと無知なだけである。
収入が低い人と深く話した事がないか、収入が低い人の多くの意見を取り入れようとしていない可能性が高い。
収入が高い人がいいというのは理論としては間違っていない。
お金があれば不自由ない生活ができるかもしれない、だが本当に不自由ない生活かというとそうとも言い切れない。
よくお金持ちの旦那を立てるために、自分を犠牲にして日々辛い思いをしている人もいる。
お金があれば幸せに慣れるという人は、どこかで必ずといっていいほど壁にぶち当たる。
だってお金が無いと幸せになれない、お金に立たせてもらっている生活をしているのだから。
この話はこれだけでは終わらない根深い問題である。