19話 人助けの喜びと、自己満の勲章どっちがいい?

大学4年で私は元の留年候補から学年2位/200人になった。

 

ここでこれからもっと勉強量を増やして1位を目指すか、もう勉強量を減らして遊びながら将来の勉強に費やすかの選択を自分に迫った。

 

ここで更に勉強する意味について噛み砕いて考えてみる。

よく巷で耳にすることがあるが、

テストでは40点から80点目指すより、90点から100点をめざす方が難しい。

 

そこで親父に言われた言葉を今でも覚えている。

「100点でも60点でもどっちも合格なんだから、俺は70点で他のことに力を入れる」

 

確かこんなことを言われた。

 

いろいろ考えた末、自分が選んだ選択は実に意外なものだった。

 

おれだけ爆走してるけど、友達を置いてきてしまった。

みんなで一生に国家試験を通るべきだ。と考え始めていた。

 

自分が仮に学年で主席を維持しても手に入れられるのは、主席の表彰状と、大学時代成績1番だったという自己満の様な勲章だった。

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これは確かにすばらしい、一生誇れるかもしれない。

だが、自分は自分の勉強をそこでほぼ中断した。

 

国家試験の勉強はゴミ捨て場にあった、上の学年の人の教科書を拾って勉強し、4年生のうちにほぼ終わらせた。

 

大学5年生の時に1個上のゼミの先輩に勉強を教えつつ、同級生にも勉強を教え始めた。

(薬学部は6年制である。)

 

教室を借りて放課後自分で講義を行い、友達の勉強のために自分の勉強をした。

どうやって教えるのか、伝え方についても勉強した。

 

国家試験対策問題を自分で作り、グループラインを学年で作り問題と考え方について配信し始めていた。

自分の学年順位は、2位より落ちていた。

ずっとトップ10には入っていたが、そんなことはどうでも良かった。

 

ただ、人の為にがむしゃらに頑張っていた。

自分は人のために勉強する。と割り切った。

 

自分が教えた友達の中には、国家試験合格点とまったく同じ点数で受かった子がいる。

そして自分が作って友達に解いてもらったオリジナル問題の多くが実際に国家試験に出ていた。

 

ものすごく感謝されたのを今でも覚えている。

「あなたがいなかったら私は国家試験に絶対に落ちていた。」

 

 

おそらく自分はこの子の合格に貢献した。

人の未来を変えた。

それこそが、どんな勲章よりもすばらしい自分の自信になる。

 

自分を犠牲にしてでも人の為に頑張れる。

そんな人って素敵だなと自分を客観視できた瞬間だった。