20話 楽園を求めて死ぬ虫たちに習うべきこと

家のトイレに莫大な数の羽アリがいる。

 

網戸にしていると網戸の外でほとんどが死んでいるのだが、時に羽がちぎれてでも網戸を潜り抜けて、その場で息絶えて死んでいる者もいる。

 

家の中でみなさんも見たことがあるように、「なんでこんなところで死んだんだ?」っていうような場所で小バエが死んでいたりするのを見たりする。

 

噛み砕いて考えてみると、この虫たちは我々に大切なことを教えてくれる。

私の感覚では虫たちは楽園を求めて動き続けているように見える。

 

彼らは光を目指し、光のあるシーリングライトのプラスチックのカバーの中に入って最期を迎えるものも多々いる。

その楽園をめざし、そこで楽しんだかどうかは別として、命を懸けて前を向いて生き続けている。

 

羽が無くなってでも網戸の中の、未知の楽園を目指して突き進む勇気には感動させられる。

 

我々人間の中で、命を懸けてでも冒険をしたことがある人はどれだけいるだろうか。

リスクを避けて何もせず、だらだら生き続けている人たちが周りにどれだけいるだろうか。

 

その人たちに確実に言えることは楽園に到達することはないということだ。

 

自分はただ他人に運んできてもらうことを求め続けて、不満だけが積み重なる。

生きてても未来に希望がないなんて、人生をあきらめたやつがいう言葉だ。

 

不満は人に期待をし過ぎているから出る。

そんなダサい人生をやめて、自分が何をできるかを考え、少しでも外の世界を見てみれば素晴らしいものが広がっている。

 

夢を目指して生きる虫たちは自分たち人間より、よっぽど立派な生き方をしている。

 

 

 

ちなみに虫が光に集まるのは、月明かりに対して一定の角度で飛ぶことによって高さや方向を一定に保っている。そこに人工の光が近くにあると、月よりも近い光を月と勘違いして、そこを基準に回っていき自然に光に集まり、電球の周りを回ってしまうということらしい。