21話 寝ていても明晰夢から学習はできる。

以前、明晰夢を見る訓練を独学で、したことがある。

意識がある瞬間と夢の違いを常に考えるということ。

 

今は現実で起きていることで、夢でない理由はなにかというような定義づけを行いながら生活していると、明晰夢という夢を見ることがある。

夢の中だけど自分の意思をもって動き、発言できる

 

寝ていても新たな学びを得ることができるという革命的な現象である。。。

 

 

今日は帰宅後すぐにビールを飲んで、ごはんを食べて20時に布団についた。

 

そこでたまになる明晰夢モードに入った。

 

友人の女の子と会うと、すごく悲しそうな顔をしている。

「最近頭が回らない気がして、病院に行ったら、頭にエネルギーがいかなくなっていずれは歩くこともできなくなる病気になった」

といって絶望しているようだった。

 

これは夢の中の世界なので実際にそんな病気は存在しないが、その子はどんどん気力を失い、歩けなくなり車いすで生活をするようになった。

普段活発に動き、冗談を交わす友人が日に日に気力を失っている。生きているのは絶望的に思うかもしれない。

人は一つの体の不調にすら受け入れる余裕を持てないのに、大きな体の変化はものすごいストレスになる。

 

そして日に日に、考える力も失われつつあるその子に自分が言った言葉は、

 

「なくなることが分かっているものが、なくなる前に人の役に立つ使い方をしなさい。」

 

考える力が無くなりつつあるなら、今それをフルに使ってできることがあるはずだ。

同じ病気に悩む人がいるかもしれない、同じように人生で絶望している人たちがいるかもしれない。

 

自分ができることは、自分が経験したこと、学んだことを伝えることだ。

 

それを聞いた友人は講演家になっていた。

 

「自分の思いを一生懸命人々に伝えていた。自分が病気になったことで、自分から離れていく人と、何もなかったかのように付き添って助けてくれる人がいる。周りの人の存在に目を向けられるようになって初めて生きていることに感謝することができるようになった。」

 

自分はそれを聞いて羨ましいとすら思っていた。

たとえ自分の体が急激な速度で、普段と同じ生活から離れているとしても、周りの存在と自分の存在に感謝して生きていくことが、若いうちにできることがどれほど価値があることか。

 

健康で生きているのに周りがなにも見えない傲慢な生き方より立派に見えた。

 

聴衆が涙を流して、スタンディングオベーションの中

このスピーチを聞き終わってちょうど眼が覚めた

 

22時だった。ちょうど2時間、映画を見たような不思議な気分だったが、寝ながら人生について学べた。

 

自分に生かせる、人のためにできるものは何か。改めて自分と向き合うことの重要性を夢から学んだ1日だった。