☆24話 若いのにすごい人と歳をとってもすごくない人の違いとは?

先日、意識高めの友人数名と飲んでて、

「歳下の人でもすごい人を見ると自分は何をやってきたんだ、と情けなることがある。」という発言があった。

 

それは、自分も生きていて何度も感じることがある。

長い時間生きているから必ずしもすごいと言われる人間とは限らない。なのに、年上だからという理由で目下の人にはため口で話すということが、当たり前のような文化がまだ残っていることを不思議に感じてしまう。

 

歳の壁を越えてぶち抜けていく人と、言い方が悪いが無駄に歳をとってしまった人の違いは何だろうか。

 

噛み砕いて考えてみた。

私の出した答えは、意識して今を生きているか≒常に考えて生きている。

 

ギリシャ語で言う「カイロス」という概念に近い。

 

神学者のティリヒが提唱した概念で、クロノスが計量可能な物理的時間を意味するとしたら、カイロスはクロノスの一様な流れを断つ瞬間時間としての質的時間である。

 

分かりやすく言うと、

クロノスは時間 ただ流れる時

カイロスは時刻 今この一瞬

のようなものだと自分では判断している。

 

40歳の人は20歳の人の2倍の人生を生きている。これは一つの事実だ。

ただその中で意識して得たものの多さが人としての魅力につながってくる。それは時間ではなく量である。

 

若くても一瞬一瞬に目を向けていれば、考えることも増え、学びも多くなる。

学ぶ量は足し算ではなく、掛け算に近い割合で増える。

 

自分の作った式で表すと

学べる量=思考力×カイロス的感覚 となる。

 

ただ歳を取った人は、会話一つにしても当たり前のように聞き流すことが多い。

だが、意識して考えている人は、一つの会話の本質をつかみその先を読み取ることもできる。

 

黒人が射殺された事件をみて、可哀想だな。で終わるか。

これは人種を超えた深い問題があるかもしれない、人種を超えた戦いが起こるかもしれない、未だに差別と言う概念が引き継がれているのかもしれない、第2のキング牧師のような人が求められている。など考えればきりがない。

 

考えて生きていれば、頭が疲れそう。といって思考を停止している人は多い。

 

しかし、それは慣れる。

腕立てを100回できる人は最初は10回で疲れていた。でも100回できる人が10回やることは簡単なことだ。思考も同じように慣れる。

 

それすらも噛み砕いて考えられない人が多いことが問題だと思う。

 

歳をとって周りから、「あの人は何十年も生きてきて、何を学んできたんだろう。」と後ろ指を指されて生き続けるか、

「あの年代にしてはものすごく考えていてすごい。」と言われるか、

 

選べる自由を持っている我々はものすごく幸せで、恵まれた人種であることにまず感謝しないといけない。