26話 なんのために勉強しなきゃいけないのか?

メルカリで天才を殺す凡人と言う本のタイトルを見て、

2年ほど前のことをふと思い出した。田舎の親戚と集まりに行った時だ。

 

親戚のおばちゃんが、孫(俺の従兄の子供)がすごく勉強ができて、学校の成績もすごくいいのよ。

「東大か京大にでも行かせようと思っている。」

 

といったので、自分は反論した。

「本当に頭がいいなら海外に行かせた方がいい。学校で学ぶことも大事だが、お金を稼ぐためなら尚更海外の大学に行った方が幅広い世界で働ける。才能を無駄に狭い世界に押し込めず広い世界から選ばせるべきだ。」

 

みんな驚いたかもしれない。

今まで親の思うが儘に薬学部に行って、いい成績をとって資格まで取ってきた自分が、急に海外逃亡して帰ってきたら、ただの革命家になっていたのだから。

 

子供と言うのは選択肢が少ない。

「知識は知恵の源泉なり」

という名言があるように知識が少ない分、知恵も出る量は大人と比べても絶対量では勝てない。

 

それなのに、大人が凝り固まった狭い概念で子供の道を狭くしていることがある。

特に田舎ではニュースと新聞でしか情報を取り入れないところも多く、メディアの情報操作に踊らされている人も多い。

 

噛み砕いて考えてみると

そもそもなんのために勉強するのか?

子供のころそんな疑問もあって、しっかり勉強しなかった自分を悔いることもあるが、その質問をされてば今なら胸を張って答えられる。

 

人生の選択肢を増やすために勉強をする。

極端な話をすれば、英数国理社の5科目をものすごくできる人は、数学しかできない人よりも先生になったとして教えられる科目の数は多い。

 

幅広く世界についても知っていれば、どこの国でも働ける。

知識があれば知恵が出せる。

 

自分がこれを知ったのは28歳の時だった。ある本で、地雷の値段は1個300円ほどなのに、撤去するのに最低でも10万円はかかるという事実を知った時だ。

 

もしこのことを若い時に知っていたら、怖いもの知らずの自分なら、発展途上の地雷の埋められた国に行って支援の仕事をしていたかもしれない。などと考えられるようになっていたからこそ、勉強することの意義についての結論につながったのかもしれない。

 

大人になって、意識して生きるようになってから余計の考えが見える。

 

「自分は勉強してこなかったから、仕事やめてやりたいこととかできない」

なんてあきらめている人と会うたびに思う。

 

ばーか 今から勉強すればいいだろ、今日が一番人生で若い日なんだからって。何を始めるにも遅いことなんてないんだぜ。って今の自分なら伝えるだろう。