最近頭をフル回転させながら生きていると、ついつい過去にあった今まで完全に忘れていたようなことを思い出すことがある。。。
学生時代、自分は昔は薬学部を出て製薬会社のMRか治験の営業になろうと思っていた。
結局、考えた末に治験の営業一本に絞って就活を始めた。
就活を進める中で、運よく第一希望と第二希望の企業は最終面接まで残ることができた。
しかし、面接を控えている状態で、ストレスのせいか顔にアレルギーのような発疹が出た。
もともとアレルギー体質の自分に、しかもこのとんでもないタイミングで成人性のアトピー症状が出ていた。
第一希望の会社の最終面接の前々日だった。
かゆみに耐え切れず顔を掻き、真っ赤になりながら急いで皮膚科に向かった。
強めのステロイドを出してもらい、顔に塗って最終面接までに治れと祈った。。。
第一希望の最終面接当日。
私は真っ赤な顔のまま面接を受けていた。
死ぬほどつらかった。人生の分かれ道になるかもしれない就職面接だった。
もはや、自分に自信なんてなかった、顔を上げることすら辛かった。言いたいことも言えず、当たり前のように落ちた。
「俺が何をしたんだ、、」 と思っていた。もうこの会社の面接は他の日には無かった。
第一希望を自分の自信の無さだけで落としてしまった。だが、そうするしかなかった。ここで明るくできてたら、受かっていたのだろうか、答えは分からない。
自宅に帰って「終わった。もうういいわ」 とだけ親に言い、すぐに部屋に向かった。
泣きたかった。泣いてもどうにもならない。ただ行く道を塞がれたトンネルの中でさまよっていた。
頼るものが、強めのステロイドしかなかった。
結局、顔のアレルギー症状は全然治らない。
そのまま第二希望の最終面接を迎えていた。
自信も元気もない泣きそうな顔で面接を迎えた。
最終面接ではその企業の社長も来ていた。
結局、まともに会話もままならず、ここも当たり前のように落ちた。
自分がどう見られているのかが気になり過ぎて、質問されたことはほぼ忘れたが、一個だけ覚えている質問がある。
「あなたの人生での失敗はなにか?」 というものだ、そしてその質問に自分は答えられなかった。
もう絶望の果てで、家に帰って親に言った。
「就活やめるわ」 と。親はどんな気持ちでこれを受け止めていたのだろうか、俺よりも悲しかったのかなと今になって思う。
そしてこれから控える企業の面接も全部キャンセルし、応募もやめた。俺は泣いていた。
涙すら顔の傷に沁みた。
絶望の淵にいた。せっかく勉強していい成績とっても、就活ではまったく役に立たない。
自分を可愛がってくれた大学のゼミの先生には、
空元気で、「俺就活やめました。新しい道を探します!」と言った。
先生は悲しそうな顔をして、何も言わなかった。
それはそうだ。
自分の教え子に成績もトップで明るく、学年を引っ張り、教授の授業の後に教室を借りて同級生に補習授業を行っている奴がいたら、どんな企業に入るんだろうかと期待していただろうに。
みんなの期待をきれいに裏切ってしまった。
ただどんな自信も周りからの目を気にする力には勝てなかった。
過去の栄光なんてなんの意味も持たないと思った。
しばらくして気づいたころには顔のアレルギー症状は何もなかったかのように消えていた。
全てにふっきれた末の結果だろう。もうストレスはほぼなかった。
人生なんてこんなものだ、欲しい時には来ない。
来なくていい時に来る。それが人生だ。
そして、最終的に知り合いの人事の人の居る会社に誘われ、やりたくなかった薬剤師として、薬局の企業に入ることになった。この経験が自分のうつ病になる入り口だったのかもしれない。
(薬剤師は人数を確保するのが難しいので薬剤師としてなら売り手市場で就活に困ることはまずない。)
そこでふと振り返って噛み砕いて考えてみる。
人生の失敗とは何か。
ちょっと前の自分なら、失敗は「頑張っている途中で、もうダメだと思い込んで投げ出してしまい、すべてを台無しにしてしまうこと」
なんて言っていただろう。
今の自分が面接に行けば受かる、受からないは別にして、すべての質問に答える自信がある。
「人生の失敗なんてものはない。失敗という概念を持っていることがそもそも失敗であって、成功への途中経過であり、チャレンジした結果のプラスの産物でしかない。失敗とあなた方が捉えているものは未来の喜劇であり、それがひどいと思われるものほど傑作の作品になるんだぜ。」
すなわち失敗とは、ひどく思えるものほど反比例して未来に輝く、ダイヤモンドの原石なのさ。