オーストラリアのシェアハウスにいた時のことだ。
ブリスベンの町のホテルの一室に男3人、女3人の計6人で住んでいるというかなり狭くも面白い場所だった。ベッドは男女別で、後のキッチンなどは共同だ。
自分はオーストラリアで10回以上引っ越しをしたが、そこのメンバーより最高なシェアハウスはなかったと胸を張って言える。たくさんの生きる上で大事なことを学ばせてもらった。
シェアハウスというと、知らない人ばかりで住みづらいと思われるが、完全にこれはメンバーに左右される。
人が良ければ都になる。自分と馬が合わなければ、無理のない範囲で寄せていけばいいと思っていた。簡単なようで難しい話だ。
シェアハウスは、日が経てば誰かが抜けては、また新しく誰かが入るという繰り返しだ。
どんな人間も事情があり悲しくも、一生一緒にみんなでは住めない。
自分はそこの部屋で3ヶ月住んでいた。半年住む者もいれば、数日で出る者もいる。
シェアメイトは一緒に住む他人と言うより、自分には家族にしか思えなくなっていた。それを教えてくれたのは韓国人のEddyという部屋メンだ。
シェアハウスはみんな生活習慣が違う分、もちろん問題がたくさん起きることもある。
ある日、韓国人の若い男の子が入ってきた。
挨拶はまともにできないし、会話もしない。食べるときはくちゃくちゃする。
部屋で仲良いメンバーで、家族会議のようなものが始まる。
A「あいつはなんであいさつすらまともにできないんだ。」
B「別に会話しなければいいじゃないか。」
C「どうせすぐに入れ替わる。」
こんな感じで色々と意見がぶつかる。
しかし、Eddyの意見はだいぶ違っていた。
「一緒に住んでいる以上はどんな奴でも家族と同じだ。他人と住むと思って生きてたら生きづらいだろ。俺はみんなを家族だと思っている。だから、どんなやつも見捨てない。彼の態度は同じ韓国人として私が謝る。」
そういい、新しく来た韓国人に何かを伝えに行った。
その日以来、新しく来た韓国人は挨拶をするようになり、食事のマナーも変わっていった。
おそらく知らなかったのだろう、人とのかかわりについて。
俺は韓国人を少しみくびっていた。韓国人でも日本人を心から尊敬している人もいるし、マナーを意識して日本人以上に友好的な人も存在する。
噛み砕いて考えてみると
このEddyの意見はかなり生きる上で重要な本質を捉えている。
物事をできる限り良い面から見ようとすることだ。
シェアハウスは他人同士が住むから少し抵抗がある人もいる。
しかし、新しい家族を増やすという視点でとらえると、そんなに悪いものではない。
むしろ、自ら入ってみたくもなる自分の帰る場所にもなる。
生きていくうえで人との関わりは避けられない。
その中で嫌々付き合って生きるか、人を自分の味方として見るか、自分の意識を変えるだけで生きやすさが変わるということを学んだ貴重な時間だった。