39話 あなたも、どれもきれいなものという幻想を見て勝手に満足していないか

仕事中にシートに入った薬を地面に落として気が付いた。

 

自分が目の前で落とされたものを出されたら、もらうのに抵抗がある。

それは、どんなものでもきれいだということを心のどこかで信じ込んでいるからではないだろうか。

 

 

私がまだ高校生の頃、遊びに出かけるために友人と3人で公園で待ち合わせをしていたある日のことだ。

先に自分と友人が到着して、残りの1人を待っていた。

 

話をしていると、たまたま足元にチキンナゲットが一つ落ちているのに気付いた。

いつから落ちているかもわからない。ただのチキンナゲットだ。地面がコンクリートのところだったので、少し砂が付いている程度で、砂を払って見ると汚れている感じもなかった。

 

友人と話をして、これを後から来る友人に食べさせてあげようということになった。

(今振り返ってみるとサイコパス的に結構危ないことをしている。)

 

少し待っていると友人が遅れてきた。

私は得意のおべっかで

「遅いよ、みんなで食べようと思って、チキンナゲット買ってきたのにもう冷めちゃったよ。お前の分残しておいたから」 とチキンナゲットを素手で渡した。

 

まず素手で持っている時点でおかしいが、友人はアホなのか「ありがとう」と言ってチキンナゲットを食べた。

「冷たいけど、やっぱりチキンナゲットはおいしいね」と喜んでいた。

 

噛み砕いて考えてみると

友人はいつから落ちてるかもわからないチキンだと知っていたら間違いなく食べなかっただろう。

 

落ちているという事実を知っているか知っていないかで、選択はガラッと変わる。チキンナゲット自体は同じものなのに、言葉一つで運命は変わっていくということが分かる。

 

我々は常に、どんなものでもきれいであると信じたいのではないか。

 

スーパーに行ったとして、目の前で店員が一度落として商品棚に落としたお菓子を見たら、それを避け、棚の後ろ側の同じ商品を取るだろう。綺麗じゃない部分を知ってしまったからだ。

 

あなたがきれいだと信じているものは本当にきれいなものだろうか。