☆38話 意識しなかった自分の幸せを、俺の過去から学んでください

日本は2019の世界幸福度ランキングで58位だ。

これだけ恵まれた生活をして、外に出て命の危険も気にせず、働かなくて生活保護でお金を一生くれることもある。

 

こんなに素敵な国はなかなかないだろう。でも人々は自分の幸せに気が付かない。

 

私もそうだった。うつ病になって死にかけていたときは気が付かなかった。

恵まれているのに、それに気が付かずにもっともっとと、ただ強欲に生きていた。自分の求める欲に見合わない結果が勝手にマイナス要素として意識に溜まる。それが自分自身を無意識のうちに傷つけてしまう。

 

今ならわかる。

オーストラリアでカジノにはまりお金を全部擦った。実際に病院を受診して、ギャンブル依存症と診断された、それくらい病的にカジノにはまっていた時期がある。

 

しかし、ギャンブル依存症と診断され、お金を全部擦ってから私は確実に幸せに向っていた。

噛み砕いてみると、ある3つの学びからだ。

 

 

立派な家に住むようなお金もなく、農家の仕事があるので、ゆっくり休むため森の中に車で生活していた時のことだ。

洗濯機なんてもちろん使うお金もない、衣類は全部手洗いだ。

 

水は外で出るところがあるので、容器が必要だった。外に冷蔵庫がある家の冷蔵庫の野菜室の引出しをパクッて洗濯板として使った。

野菜室の下はでこぼこして洗いやすい形状をしていた。

 

今まで洗濯を手でやったことなんてなかった。日本にいるときは当たり前のように、家電があって、トイレがあって風呂があって、それでも満足が出来ない自分がいた。

どちらかというと裕福な家庭で育った自分にとって、経験したことがない手で洗う洗濯がとても楽しかった。

 

そして、トイレはもちろん洋式のピカピカのトイレだった。

オーストラリアの農家では土地が広すぎて、トイレがないエリアもあった、仕事中にお腹が痛くなり、外でうんちをしたことがある。

(日本でも子供のころに、家の鍵がなく、家に入れずに庭でうんちしたことが一回あるが、大人のうんちとはわけが違う。)

 

外で森の中でうんちをして、その辺に生えてる大き目の葉っぱでお尻を拭く。実に野性的だ。お尻が拭けてるかなんて気にもならない。トイレが今まであったことが当たり前ではなくなっていた。

 

そして、食べ物だ。今まで「いただきます」なんてほとんど言ったことがなかった。

食べるものに感謝どころか、あるのが当たり前だとすら思っていた。食べれなくなることなんてないし、嫌いなものは食べなかった。

しかし、初めてだろうか、自分で野菜の成長を見て、それが育つのを待ち、採って自分で食す。食べ物が地面から生えているということがとても神秘的に感じられるようになっていた。

 

 

①手で洗濯をすることで学んだ家電の有難さ

②うんちを外でし、お尻を拭く葉っぱの命をもらう。トイレの大切さ。

③食べ物が地面から生まれ、食べられて死んでいくところを目にする。

 

自分は「足るを知る」ということを学んでいた。

今あるものが無くなった時、そのものの大切さがわかる。でも、無くなってから気づいても遅いことだってある。無意識を意識して、今ある幸せに目を向けたあとの見る世界は少しは変わってくるかもしれない。