43話 群像の感覚で、自分の立ち位置を理解しないと人は離れていく

先日友人と話していて、群像の感覚と言う話が出た。

以前、林修さんがテレビでお話ししていた。

 

簡単にいうと、集団の中での自分の強み、役割は何かを理解するということだ。

 

・普段、羽振りがいいだけの友人が、お金を節約するようになると、遊びに誘われなくなることがあるのは、その人のポジションがお金を多く出してくれるという強みに生かされていた、と言うことだ。

 

・普段ふざけていたけれど、本を毎日読んで勉強するようになって未来を考えて行動するようになれば、以前ふざけてつるんでいた友人からは話が合わなくなって呼ばれなくなる。その人のポジションが、現状でふざけて遊ぶことに注力しているという強みに生かされていたということだ。

 

もちろん自分が変わることは必ずしも悪いことではない。

トレードオフで、何か捨てる代わりに別の何かを得られることがほとんどだ。

 

噛み砕いて考えてみると

今までの群集の中での立ち位置を変えることで、自分の得た新たなポジションを求めている別の群衆の中に入ることが出来る。

 

ただ、自分の中でただマイナスに行ってしまうと孤独になることがある。

 

今まで友人と遊ぶ時、多くお金を出していた人が出すお金を減らしただけで、トレードオフの代わりの強みがなければ、その人を呼ぶメリットは減り、誘われる回数も減っていくだろう。

⇒どうやってお金を増やせるか、お金の使い方について周りに教えることが出来れば、その人の価値はお金を出すだけの人から、周りの人の出費を抑えられる人へと変わる。

 

普段からふざけていたのに、勉強に専念することで家を出る回数が減れば、交流関係も減っていくだろう。

⇒勉強した知識を使って現状よりも楽しむにはどんなことが効率的にいいかをわかりやすく説明でき、文章の作り方、話が面白くなればその人の価値は高まるだろう。

 

 

なんのために人と交流するのかも重要だが、自分が捨てたものの代わりに得たものが何であるかを知っていなければただ人が離れて行ってしまう。

 

私は、かなりの倹約家で、「ケチ」と言われることが多い。ケチな人は遊びに誘われなくなるが、自分のトレードオフできる部分を考えた。お金を無駄に使わない代わりに、自分が人の役に立てることのためにお金を投資した。

 

 話しが面白くなるため、わかりやすく説明するために本を爆買いして読み、話し上手になるために努力した。

新しいスポーツを始めたら、道具をそろえてそのスポーツに呼んでもらえるよう練習するためにお金を投資した。。

飲み代や人におごるお金をケチる代わりに話の上達に注力したことと、ケチと言う概念を覆すため、落ちてるものを拾ってきたりするまで、極限の倹約までして、ケチを超えた新しいポジションを築けたと思っている。

 

悪いと思われる短所も度を越えれば新しいものに進化する。

 

途半端に自己中心的に生きていると嫌われる、だが、自分の意志を最後まで貫く極限の自己中になれば周りの世界を変えられる。