今朝、トイレ用のスリッパがなかったので、どうしようか考えた。
新しいスリッパを買う選択肢はないので、作るか、余っている外履きを中で使うか。。。
結局、外履きのサンダルを洗ってトイレ用のスリッパとして使うことにした。
外で使ったものを洗ったとしても中で使うのには抵抗がある。
何度、靴の底の部分を磨いたとしても黒く残った傷と痕は消えない。
噛み砕いて考えてみた。
これは犯罪を犯した人に共通している部分があるのではないかと思った。
犯罪を犯した人は、また犯罪を犯す危険性があるから、社会から抹殺しようとしたがる傾向が日本にはある。
実際に、服役の経歴があるだけ、就職が難しい現状が日本には根付いている。
確かに、犯罪の被害にあった人の気持ちを考えると気持ちはものすごく分かる。
しかし、特殊な精神的な疾患などから来る犯行のものでない一時的なものなら、出所後にチャンスをあげられるような場所がいくつもあっていいような気がするが、そういう場所は未だに少ない。
外履きで履いた靴と似ていると自分が思ったのは、
たとえ家で使っているサンダルが、一見きれいに見えても底の部分にある、外で使っていた痕が消えない。
どんなに立派に生きようとしても犯罪を犯した事実は消すことが出来ない。
犯罪と言うのは誰にでも犯行をする側になり得る事象だと考えている。
同じことをして犯罪者として捕まった人、捕まらなかった人が、ごまんといる中で、犯罪者の社会復帰を阻むことが本当に目的に則った行動なのだろうか。
犯罪をして更生したくても、更生場所に出会えず再犯してしまうリスクを考えると、出る杭を打つことが我々の目的ではなく、感情論に振り回されてしまっている結果の一部が今の現状ではないかと考える。