53話 自分の利益のために他人が損を被ることに目を瞑って生きていけるか

何かを得られることはありがたい。それは陰で他の人の行いの結果自分が利益を得られただけのものだとして、その人に何かお返しをしてあげるか。見て見ぬふりをするか。

 

 

先日、友人と8人で西表島に行ってきた。

そこで友人の知り合いにパイナップル農家へ連れて行っていただき、パイナップルを押し売りのような形ではあったが、安く買うことができた。

 

みんなで3000円払う形でパイナップル(質はそんなに良くないように見える)を好きなだけ持って行っていいということになった。

 

代表として一人の友人が3000円を払って我々はみんなパイナップルを好きなだけ持って帰った。

 

旅も終わり、私は帰り際でふと思い出したので3000円を払った友人に

「お金を返すのを忘れていた」といい少し多めにお金を払おうとすると、その友人は、

 

「誰も払ってないから、みんな旅を楽しんでもらえたし、俺がこの代金は持つからいいよ」と言ってきた。

そんなの俺が納得できない。と思いお金を渡した。

 

噛み砕いて考えてみると、不思議に思った。

みんな、その代表の友人が3000円を払った事実を知っている。

 

なのに誰もお金を払おうとしない。パイナップルをタダで手に入れたと思っているのだろうか。

不思議でしょうがなかった。

 

友人でも、お金を貸して、「返してくれ」と言われるまで返さないバカがいる。

借りたものを、返せと言われるまで返さないのは、特にお金に関してはだらしない。

 

お金にルーズでまともな人間はほとんどいない。

 

このパイナップルの件で私が思うことは、自分の利益の代償を他人が払っている場合、自分はそこに当たり前のことだが身銭を払えるかで今後自分が得るリターンに影響が出てくる。

 

仮に1000円のものを友人が払ってくれていて、1000円払うのは当然だが、1円も払わなければ、「こいつはあの時お金を出さなかった」という事実が一生残り続けるだろう。運が悪ければもう誘われなくなる。

 

そこで、1000円出せばトントンで終わるが、1000円よりも大きいものを返したら、その差額にレバレッジがされてもっと大きなリターンが別のところからふと降りてくることがある。

 

これが私が思う宇宙の法則だろう。

 

目先のお金をケチって失う信頼よりも、少し相手に得をさせる気持ちがより多くのリターンにつながる。

人の気遣いというものは必ず誰かが見ている。

そして気遣いができないというところも必ず誰かが見ている。