オーストラリアで農家の仕事をしている時、私は10回ほど転職をした。
その都度給料が大きく変化していた。倍以上になることもあれば半分以下になることもザラにあった。
だが、途中からはスキルアップやヘッドハントによって給料が上がるような転職が多かった。
その時にお金を貯めるのにはどうすればいいのかを、瞑想しながら考えたことがある。
お金を貯めるには、仕事を増やすか、出ていくお金を減らすかがメインの問題だ。
一緒に過ごす仲間で、給料が上がっていくたびにお菓子を沢山買うようになったり、高いお酒を買ったり、いい肉を買ったりしている友人がいた。
これはごく当たり前のことだろう。
給料が増えれば使えるお金も増える。その分無駄遣いをしたくなるのは人間の性であろう。
そこで、私は給料が上がる度に生活水準を落とすという、逆の発想を意識してやってみた。
元々ホームレスも経験した後で、生きていけるだけで幸せを感じられる自分にはさほど難しいことではなかった。
ご飯を食べていたが、タッチの差で安いパスタ(500gで70円ほど)に切り替え、野菜は農家からパクってくる。パクった野菜を近隣の友達に違う野菜と交換してもらう。
という感じで一番節約した時の一週間の食費は500円程度だった。
生活水準を下げればお金は面白いように溜まっていく。
美味しい物を食べることはすごい大事なことだ。
健康面も考えればある程度いいものに越したことはない。野菜だけでは力は出ないことを体験した。
噛み砕いて考え。
ただやみくもにケチらずに、お金とカラダとその兼ね合いを考えてお金を使うことの大事さを学んだ。
私の友人で結婚相手がなかなか見つからないという女の子がいる。
すごく裕福な家に生まれ、誰もが羨むような生活をしていた、美味しくて高いものを食べ、高い服を着てブランドのバッグを持って、それを叶えてくれる自分のお目に適う相手がなかなかいないという。
結局、彼女の問題は生活水準を落とせないことだ。
そんな人は今までたくさん見てきた。
生活水準を落とすのは自分との戦いだろう。慣れてしまえばなんとも思わないが、生活が変わることに抗う自分が存在しているのだろう。
自分の価値が見えずに、今の自分の生活を維持できる相手を探し続ける。
お金に恵まれていても、心が裕福になれない。
生活水準と言うのは、幸福と言うものにも関係してくる。
ウルグアイの世界一貧しい大統領ホセ・ムヒカ氏の本で以前書いてあった大事なことがある。
「私はみんなが、貧しいと呼ぶがとても幸せである。今あるもので満足できることが裕福と言うことである。」みたいな感じのことだったが、
今あるものに感謝できないと、もっともっとと強欲になる末に、減ったものに対し幻滅して不幸を感じてしまう。
それなら、少しずつでも生活水準を落としていくことが、長い目で見た幸せになるための自己投資になる。