57話 外人に学んだ根に持たないこと

オーストラリアで、キャベツの収穫のリーダーをしていた時のこと。

 

チームのメンバーのイタリア人の男の子が、仕事に協力的でないことにイラついて、

「俺たちはチームで仕事をしてるんだぞ、お前ひとりで仕事をしてるんじゃないんだぞ!」

と言い放ち、仕事中に家に帰ったことがある。

 

 

次の日はたまたま休みだったので、ふらふらと仲の良い友人に会いに行った。

友人と外で雑談をしていると、私が怒って帰った原因のイタリア人の男の子がたまたま通りかかった。

 

「よー!調子はどうだい?いい天気だな。」 と彼はなにもなかったかのように話しかけてきた。

 

私は驚いて、適当な返事しかできなかったが彼は何も気にしていなかったようだ。

 

心のどこかで、昨日のことを気にしていて根に持自分が恥ずかしくなった。

 

イタリア人は喧嘩しても少し時間がたつと、何もなかったかのように仲良くなっている光景を何度も見てきた。彼らに妬んだり、思い悩んだりする概念はないんじゃないかと言うくらい楽観的な人が多い。

 

お金はあれば楽しむために使う。仕事がなくなったらとりあえず遊ぶ。

労働と言う概念に縛られた我々アジア人には理解しがたいが、ある種うらやましくも思える性格だった。

 

噛み砕いて考えてみると

日本に来てから思うが、ほとんどの人がコンプレックスに苛まれている。

コンプレックスのせいで、楽しめるものも楽しめない。うらやましいはずの者が憎ましく見えたりもする。

 

何か闇が深い文化だなと感じる。

 

人はみんな違うのに、同調圧力で同じような人間になることを教育で叩きこまれる。

 

そこに無理をしている自分がいたら、反発できない恨みとなり、人を許せなくなってしまう傾向にあるのではないかと。私なりに勝手に分析してみた。

 

誰かとぶつかった時は、1人だけ楽観的でも新たな反発を生みかねない。

一人一人の自由な発想が常に展開できる環境作りが大切だ。

 

そのためには、自分に芯の強い自信を持てるような小さな成功体験を積み重ねることが重要だと感じた。