66話 海で救助船を呼ぶまで海に流されて感じたこと。

先日、仕事終わりに海に友人と6人(男3人女3人。お互い初めましての人もいた)で魚を取りにモリ突きに行った。

 

まさかの男の子一人が泳げないということで、私はドンキで買った手漕ぎのゴムボートを持参して貸してあげた。6人のうち2人は観光で来ていて、泳ぎはそこまで得意ではない感じだった。

 

友人がドンキで別日に買った遊び用のピザの浮き輪を持っていたので、ゴムボートと紐でつなげて、ゴムボートで漕いで、浮き輪に乗った人も引っ張れるようにしようという流れで沖に向かって進んでいった。

 

観光の女の子が浮き輪に乗り、泳げない男の友人がボートを漕い行き、観光の男の子がボートを泳ぎながら引っ張れたら引っ張るという感じだったが、見えている限りうまくボートを漕げている感じではなくだいぶ流されていた。

 

私は、沖から500mくらいのところで泳ぎな得意な女の子2人組とモリ突きをして、他の3人はボートで遊んでいた。同じくらいの距離まで来ているが少し横に流されている感じだった。

 

女の子の友達の一人が、「流され過ぎじゃない?助けに行ってくる。」

といい、30~40mくらい離れていったボートに向かった。その後を追うように、もう一人のモリ突きしていた女の子もボートへ向かった。

 

私はイラブチャーという珍しい魚を見つけたので魚の方へ向かった。

 

水面から顔を上げると、みんなだいぶ離れていたので、さすがにまずいことになったと思い。私も助けに向かった。

私がピザの浮き輪のところ、およそ50mほど泳いでいくと、私のゴムボートに乗った泳げない友人と、ピザの浮き輪は既に切り離されており、ゴムボートの友人は泳いではいけないくらい離れて流されていた。

 

ここで共倒れするよりも、浮きを一つ残して生存人数を増やして後で救助を呼ぶ、という選択肢は1つ目の賢い選択だったと思う。

 

最初に助けに向かった女の子の友人は、

「さすがにあの距離は助けに行けない遠すぎる!代わりに行ってきて!」と死にそうな顔で私に訴えてきた。

 

ここで助けるのを一旦諦めたのは2つ目の正しい選択だった。

もし溺れたりでもしたら、それを助けに行く誰かと共倒れになっていたかもしれない。

 

「いやいや、無理だろ」私はそんな泳げる元気はなかった。

その時点で海の底が真っ暗で、きれいな珊瑚もまったく見えない。そして水がやけに冷たい。

ボートに乗って流された友達は浅瀬から1~2kmくらい離れていただろう。

もはや豆粒のように小さくなっていた。

 

ここで一つ学んだが、誰かを助けに行く時は精いっぱいの力で泳いでいくため、たどり着いた時にはそれから泳ぐ元気はほぼなくなっている。

 

 

たまたま数百メートル離れたところにダイビングの船が止まっていた。

我々はそれよりももっと沖にいた。

 

我々は残った5人で、600~700mくらい泳いで砂浜まで帰ってレスキューを呼ぶか、まだ泳げば近いダイビング船まで泳ぐか、考えた末、船まで泳ぐことにした。

 

これは3つ目の正しい決断だった。

砂浜までみんなで泳げば帰れただろうが、そのあとレスキューを呼んで捜索して、果たして流された友人は見つかるかは分からない。

 

みんなでピザの浮き輪を掴んで、必死にダイビング船まで泳いだ。もうふらふらで体力もほとんどなかった。

わずかな力で助けを求めて叫びながら助けを求めた。

 

船まで距離は思った以上に遠く、声も届いていないようだった。

必死だった。「必ず死ぬと書いて必死」だが、まさに死ぬ寸前に近かっただろう。

 

頑張って叫び続けた末、ようやく声が届いたようで、ダイビング船が我々をのところまで船を動かしてくれた。船に上がる前にどれくらい深いのか下を見たが、ダイビングをする時よりも地面は深く真っ暗だった。サメがいたら普通に襲われてもおかしくなかっただろう。

 

私達は、「友人が流されてしまって、助けて欲しい。」と懇願し、船に乗せてもらい友人の流された方角へ向かった。

 

その頃友人はもはやまったく見えなかった。

 

しばらく船を動かすと、私のドンキで買ったボートが見え始め、泳げない友人が漕ぐのも止め、うつむいたまま流されているのが見えた。

 

無事に彼を船に引き上げた。

本当に船の方には感謝しかなかった。

久々に本気で死ぬかと思ったが、死を感じられるからこそ生きている意義を感じられるのではないかと改めて思った。

 

ただ私はどうしても船で流された友人の気持ちが気になって、流される時どんな気持ちだったか聞いた。

 

彼は「もうだめだと思って、体力を変に使わないように漕がなかった。本気で死んだと思った。」

と完全に諦めていたようで大した答えは返ってこなかった。

 

噛み砕いて考えてみると

判断一つの選択次第で、誰かが死んでいたかもしれないし、全滅していたかもしれない。

今回は本当に奇跡だった。

命がかかった決断をする時に選択をしっかりできるか、そのまま決断できずに共倒れになるか。

 

決断力が人生を左右する。

 

修羅場が人を大きく成長させるんだ。ということを改めて実感させていただいた。