67話 選ぶ言葉がキャラを作る。適当に言葉を選んでいないか

最近、飲み仲間と話していて、言葉の選び方でその人の価値は変わってくるという話になった。

 

私の友人は、仕事中に仕事仲間から「もし困ったらいつでも呼んで」と言われることがあるらしい。

困った時にも自分からは助けを呼ばないので、手が回らなくなったころに仕事仲間が助けに来てくれることがあるという。

 

その時になんて声をかけるか聞いたら、彼は「来ていただいてすいません。ありがとうございます。」

というようだった。

 

言葉に正解はないが、私は「多くの人はこの言葉を選ばないだろうな。」と言う言葉を選びながら会話をしている。

言葉が人生を作ると言われるように、選ぶ言葉はキャラをも創設してくれる。

 

仕事で困っている時、「来ていただいてすいません。ありがとうございます。」はよくある返答だろう。

それを言われて悪い気はしないが、私ならこう言うだろう。

 

「来てくれるって信じてました。」 と。

 

その人のキャラもある、と言われるが、まず前提がおかしい。言葉がキャラを作っている訳であって、キャラが言葉を決めているわけではない。と私は考えている。

 

 

昨日、オーストラリアで出産したブラジルの友人から、子供が生まれてだいぶ育ってきたので早く会いに来い。というメールが来た。

 

私は「その子にはポルトガル語か英語どっちで会話すればいいの?」と返した。

友達は私らしい返事だと思っていたのか、笑っているスタンプと共に、ポルトガル語で!という返事を送って来た。

(ブラジルはポルトガル語で会話をする。)

 

噛み砕いて考えてみると

 

言葉を差別化すればその人は、差別化され特別な分類に分けられる。

それにはボキャブラリーが必要になる。色々なニュースを見たり、本を読んだり、漫画を読んだり。

 

話しの輪も広がりボキャブラリーも増えれば選べる言葉の選択肢も増える。そして、言葉の選択肢が増えれば自分のキャラの選択肢も増え、生き方の選択肢も増えていく。

 

何も考えずただありきたりな、言葉だけで生きていくことも一つだ。それもむしろ一つの個性だろう。

ただ、色のついた個性に人が集まる。

虫も動物も同じだ。