私は大学卒業後に比較的に大き目な、調剤・ドラッグ事業一部上場企業に入社した。
同期は全部で300人前後、半分ほどが関東と関西と、数人がその他のエリアにそれぞれ分かれて研修を行う。中国人の社員も結構な数いた。
自分は関東の方で研修を行った。
入社後は2週間ほど最初に研修があった。2週間の中で目立つ人もいれば、静かな人もいる。
ランダムで組まれた7、8人ほどのグループに分かれて、タスクを行っていくのがメインだ。
毎年恒例で、同期(関東だけ)と人事の交流飲み会が行われる。
軽く100人は超える規模の飲み会だ。
それが、まさかのチーム対抗のプレゼン大会が行われる日の夜だった。
テーマは未来の会社の在り方についてというものだ。
今未来の地点から考えると、だいぶ先の世界を見ている人も多かったように思える。
発表する班によっては、当時の仕事内容の延長線のものや、改善された店舗の設計や、ロボットによる接客、私の斑は宇宙に店舗を飛ばすというアイデアを出した。
ブレインストーミングの要領で、アイデアをまとめて全部の班が順番に発表して、最後は投票でトップ3の班を発表する。というものだ。
今考えれば、研修中のすべての態度や行動、人との接し方が人事考課に含まれる。その人の人柄や能力なども考慮し、その後さまざまな店舗へ配属されるための判断材料になっていただろう。
私は班長とかでもなく、ただ普通にメンバーとして参加し、基本的にふざけていたが、
そんなに目立ったキャラでもなかっただろう。
我々の班は、宇宙に店舗を作るという少し逸脱した発想を出してしまったこともあり、話し合いにより内容よりもパフォーマンス重視で発表することになった。
出だしはメンバーの男の子が笑っていいとものようなスタートで元気よくはじめ、後半は私が宇宙店舗の趣旨・構造等を説明し、会社の経営理念を改造して宇宙バージョンに内容を改造して言い、最後はみんなで決めポーズで終わるというようなふざけた内容盛りだくさんで、下手したら怒られるレベルの発表をした。
上手くいき、ウケると思ったが、これが裏目に出るとは思わなかった。。
発表の広場には全部で150人ほどの人事部の社員(10名ほど)と、同期(140人ほど)がいた。
順番を決め、班ごとに発表していき、最後に全員で投票を行い上位3班を発表するというものだ。
我々の班の発表は思った以上にウケた。
出だしからハイテンションで、終始ふざけて楽しく発表を終えた。
発表後に人事部の社員の人がコメントと感想を適当に話していくが、その時の人事部の一人がこんなことを言った。
「笑っていいともみたいな感じで面白かったよ。○○君と○○君でなんか面白い一発芸みたいなのできたら点数あがるかもよ」
と、パワハラ顔負けのまさかの名指しにされたのは最初に明るく発表をさせたやつと、もう一人は自分だった。
一発芸を指名された以上、間をあければあけるほど、ハードルが高くなる。
そして、間が長すぎれば、「やっぱりいいよ。」となり、人事どころか、同期からの評価もダダ落ちだろう。何かをするしかないのは目に見えていた。
一瞬の間に頭はフル回転していた。
ちらっと横目で、指名された奴の顔を見ると、ガクブルしていてとても何かできる感じではなかったのを今でも覚えている。
俺がやるしかないか。と、とりあえずしゃべり始めた。
もう心臓なんて張り裂けそうな気持だった。こんな100人以上もいる前で芸人さんでもないのにギャグをさせられるのか。と
「人生で困った時に、あなたを救うものがある。」といい会社の経営理念が書かれたバッジをおもむろに出してポーズを決めて、これで私は経営理念と一つになる。みたいなことを言った。
うろ覚えだが、思った以上にウケた。
人事の社員からは、「点数をつけるかは分からないけどお疲れ様。」とだけ言われ席に戻った。
全ての班の発表が終わり、投票で我々の斑はまさかの2位になった。
おそらく加点して貰らえたのだろう。
仕事終わりの100人以上集まる同期の飲み会、私はまるでヒーローのような扱いだった。
同期でしゃべったこともない奴らが、「君の発表は最高だった。一番面白かった」と私の顔を見るなり言って来た。
飲み会で人事の一人が私の横に来て、
「あの空気でよく動いたよ。見てる人は見てるから。」と言われ嬉しくなった。
その出来事をエンジンに私は同期のまとめ役に躍り出るようになった。
普通の一社員が一発芸をさせられたことでいきなり、みんなの人気者のようなポジションを取った瞬間だった。
一緒に一発芸を指名された同期は、名が売れることもなく、私が手柄を総取りしてしまった感じがある。
ただ、チャンスと言うのは幾度となく訪れる。ただそれを掴むためには多少の勇気がいる。
そこへ飛び込む勇気がないと、人生は変わらない。
まだキャラが確立されていないからこそできることがある。
その時に、自分の立ち位置を明確に決めれば、居心地が悪くならない。と言うことを学んだ瞬間だった。