72話 指摘されて、それを受け入れる度量があれば伸びる人

何かを指摘した時に、「お前はどうなんだ。人の子と言えないだろ」と言う人とは関わらないようにした方がいい。

 

 

オーストラリア時代に、ある日本人の男と女の人の2人組に出会って、一時期同じ家に住んでいたことがある。

 

3年以上オーストラリアで同棲していて、体の関係とかはなくカップルでもなく、仕事のパートナーだという。

色んな農家を渡り歩いていて農業に関しては凄腕の二人組だった。

 

ただ貯金はどっちもまったくない。お金はすごい稼げるのに、すぐに使ってしまうという。

そして、毎日のように喧嘩していた。

 

私はなんでこんなに仲が悪いのに一緒に住んでいるのか疑問だった。

 

私はどうやって出逢って一緒に住むようになったのか聞いてみた。

 

すると彼らは、たまたま農家で出逢って、将来の夢を語り合った時に目指していた目標が一致していた。それから将来、日本で起業するために一緒に過ごすようになったという。

 

ふと疑問に思ったが、お金は浪費と投機に使われているようだった。

2人ともお金がないのは、2人ともカジノ中毒で、男の方はタバコ中毒でもある。そして、働くことがあまり好きではないということだった。

 

お金がない男の方へ女の人がお金を貸していて、貸した総額は200万円ほどだという。

そして2人の貯金はほぼ0に等しい額でその日暮らしのような生活をしていた。

 

この時点で、2人の目指していた目標と言うものからだいぶ離れていただろう。

一緒にいる意味はあるのだろうか?私はその馴れ初めを聞いてから疑問に思ってしまった。

 

それで毎日喧嘩している。理由なんて本当に大したことじゃない。

洗濯ものを俺のも洗ってないとか、ジュースを勝手に飲んだとか、こんなことにエネルギーを使って時間がもったいないと思った。

 

その喧嘩を聞きながら私はいつもの笑っていたが、耳に残るのは、「おめーも人のこと言えんのかよ」と言う言葉だ。

 

喧嘩になると、相手の嫌な部分を指摘することが多々ある。

喧嘩ではなくてもそういうことはあるが、そこでいきなり「お前はどうなんだよ!」と話の論点がすり替わることがある。

 

話の展開は、1人に対しての問題の提起である。

指摘された人は、その指摘内容を一度受け止めてみれば言い争いになることはまず無いはずだが、その前に相手の攻撃に徹する人が多いように見受けられる。

 

この人たちは一向に成長しない。

 

自分の指摘された内容に目をつぶって、同じ内容を相手に押し付ける。

これは課題の分類ができていない。

 

まず指摘された「自分の改善すべき点」について問われているのに、「相手がその改善点をクリアできているのか」という問題にすり替わっていることにも気づいていない。

 

せっかく自分の成長できる点を教えてもらっているのだから、そこは一度受け止めればいい。

 

結局、私と別の友人がそれ以上お金を貸さないようにと言うことで二人を引き離した。

男はそれを望まず、私と別の友人はだいぶ恨まれていたが、それでもいい。

 

無駄にした時間とお金は戻らない。早く気づいた者が優位に立てるというのは変わらない。

 

「その人が幸せならそれでいいじゃん。」と言う人は、一理あるのは分かるが、そんな人間に友達と言う概念はないのかもしれない。本当に友達なら、今の延長線上の未来を共有したうえで相手の意見を尊重できるのが友達なのではないだろうか。

 

今の洗脳に溺れて、それに満足しているのならそれでいいじゃない。という人間が何を持って友達と言う言葉を口にするのか。