75話 自分の一日と相手のその日の1日の重み

石垣島にいると、よく友達が遊びに来る。

私が心掛けているのは、ダラけず全力で応えるということだ。

 

私が島で過ごす毎日と、友達が有給を使ったり、休みを使ったりして来た特別な1日とはその場での重みが違う。

 

私は最近、遊びに呼ばれる人と、呼ばれない人の違いについて個人的に研究しているが、そこの一つの答えに、相手の状況を考えていない。ということがある。

 

自分が友達のところに遠出して遊びに行った時に、特に大した理由でもなく早く帰られたりしたり、眠いからとか、そんな忙しい予定でもないのに、来てくれないということがあると非常にがっかりする。

もしかしたら、自分のなにかが悪い可能性もあるが、また普通にその後連絡が来ることがほとんどだ。

 

そして思うのが、「もうコイツに声かけるのはやめようかな。」ということだ。

 

これは、自分だけではなく、多くの人にも当てはまるだろう。

 

誘っているということは、なんかしらの理由で、その人は求められているということだ。

その打席で球を打てるか打てないかの以前に、まず打席に立ってくれないということはもはや論外である。

 

理由が明確で、これはさすがに来れないだろうな。という仕事だったり。

長距離離れた場所にいたりすることならまぁ諦めるしかないが。

 

家で寝てたり、勉強するとか、買い物に行くとか、そんな理由で断られると、自分の為に時間を工面してくれないのか。と人はもうその人に声をかけなくなってしまうのではないか。

 

少なくともスタメンとして呼ばれることは少なくなるだろう。

誰か来れなくなった時の代打や、人が足りない時の数合わせでしか呼ばれなくなることもあるだろう。

 

それを覆すことが出来るのは、その人の特別なキャラクター性だろう。

どんなにわがままでもめちゃくちゃ面白かったり、誰もしないような感動的な話が出来たり。だれもまねできないような考え方を持っていたり、特別感がその人を際立たせる。

 

マイナス面があるときにそれを覆せるくらいのプラスの長所を実感して伸ばしていくことが人間関係を気づくうえで重要な事ではないかと感じた。