78話 最悪の事態を想定して、後悔しない人生を送っているか。

《後悔しない人生を生きるには、未来をある程度予測して生きないといけない。》

 

 

私には、兄さん(あにさん)と呼んでるオーストラリアで出逢った日本人の友人がいる。

 

私はオーストラリアの語学学校で、放課後学校で勉強していた時に、優しそうで色黒で髭生やした優しい顔の男の人を見かけた。日本人が珍しかったので思わず話しかけた。

 

私よりも5個年上で、当時は31歳の元自動車整備の仕事をしている人だった。結婚を約束している彼女が日本にいるという。

性格は穏やかだが、たまにふざけるタイプで自分とはすごく馬が合うと思った。

 

「今度飲みましょうよ!」と誘うと、勉強があるからまたね、と軽くあしらわれた。

 

兄さんは、毎日放課後16時くらいから21時まで勉強していた。

なんで勉強しているのかを聞くと、「俺は全然英語が話せないから、英語を勉強して話せるようになりたい」と言っていた。

 

それから学校で会うたびに話すようになり、ある日、私の家で飲み会をやるのでぜひ来てほしいと言うと、2つ返事で兄さんは参加してくれた。

 

当時私とつるんでいた、

人見知りのブラジル人

日本が大好きな韓国人

掃除が趣味の中国人

というオズの魔法使いのメンバーの様な矛盾した特性を持つ友人と飲んでから兄さんは、たびたび飲み会に参加するようになっていた。

 

気づいたころには兄さんは放課後勉強するのをやめて遊ぶようになっていて、遊びに出かけることが多くなり英語も自然と上達していた。

 

学校を卒業したら、住んでいるブリスベンシティを出て、シドニーで車整備の仕事をしたいと言っていた。

 

私は「卒業する前に、どっか旅行でも行きましょうよ!」と誘うと、

「お金かかるし、いいかな。」とあっさり断られた。

 

俺は嫌がる兄さんを放課後無理やり旅行会社に連れて行った。

その時に、私は、兄さんとは学校を卒業してからオーストラリアで会えることはもう無いだろうと、うすうす感じていた。

 

旅行会社で英語の勉強がてら付いてきてくれと言い、色々と旅先のパンフレットを貰った。

「みんなで行きましょう」と言い。友達みんなに声をかけたが、みんな「お金がかかる」と言うことで行こうとはしてくれなかった。

 

 

ずっと渋っていた兄さんにケアンズに行きましょう!人生で今しかないですよ!」と何度も説得して、兄さんと2人でケアンズに行くことになった。

 

グレートバリアリーフを泳いで、サメに遭遇したり、ラピュタのモデルの城に行ったり、クラブに行って飲み歩いたりなんだかんだ兄さんはすごく楽しめたようだった。

 

それから数日もしてから、兄さんは卒業して車の整備の仕事をするためシドニーへ旅立っていった。

 

私も学校を卒業して3ヶ月ほどして農家で働いる時に、ふと兄さんを思い出して電話したことがあった。2時間位語った話がすごく印象に残っている。

 

その時には、早くも兄さんは日本に帰ってしまっていた。

 

シドニーで仕事は見つかったが、車の工場でずっと安い賃金で洗車をしているだけだった。自分の思うような仕事はできなかった。友達も全然できなくて、彼女を待たせていることもあるから日本に帰ったという。

 

兄さんはその話をした後に、

「あの時、ケアンズに誘ってくれてありがとう。お前に会ってなかったら、オーストラリアでどこも旅行もしないまま、ただ、毎日英語の勉強してつまらないオーストラリア生活になっていたと思う。

あの時ケアンズにも行けて本当に良かったよ。」

と続けた。

 

私は、また人の人生に何か変化を与えてしまったような気がした。

その当時、強く意識はしていなかったが、私は少し先の未来を見ていたのかもしれない。

 

私は、説得することが大変だった兄さんを説得することが、

後悔することから避けるための路線を変えるような大きなレバーを引いた気がした。