暇だと言っていると、結果的に忙しくなって首が回らなくなることがあることを意識しないといけない。
子供の頃から親に、
「時間を一番持っているのは、一番多くの仕事をこなせる奴だ」
と言われて育ってきた。
同じ時間で多くの仕事をこなせる人間は結果的に時間を沢山持っているという解釈ができるということだろう。
学生時代や、社会人になってからも「忙しい」 が口癖のようになっている人によく出逢う。
彼らは、自分自身はやることが多くて充実した人生を送っている、というような実感を持ちたいのだろう。
私はそんな彼らに、
「そんなに忙しいんだ!可哀想に、時間をうまく使えてないんだね」 と皮肉を言っていた。
それとは相反して私は
「毎日暇でしょうがないんだよ。」 と口癖のように言っていた。
フットワークの軽さには自信があった。
そのため、暇だと言っている分誘われたらどこにでも行っていた。
上手く時間のやりくりをして、多くの人と会うことに価値を覚えていた。
ひどい時には1日4個ほどの遊びの予定を入れていて、誘ってくれた人に会いに、5~10分だけ話に行くということもあった。
夜に深夜まで飲み放題で飲んで、そのまま帰りに別の友人とスノボーのバスツアーに参加したこともある。今考えたらできる気がしないが、そんなことをしているとある矛盾にぶつかる。
暇すぎるはずなのに、誘われ過ぎると、全部に参加することは不可能だ。
体は一つしかない。
ノリがいい!が武器のはずなのに、誘われ過ぎて断ることが増え、誘う側からすれば逆にノリが悪くなる。ような気がした。
いくら時間をうまくやりくりしても物理的に出来ないことがあるという限界をそこで学んだ。
それから私は自分の本当に生きたいところにだけ参加するようにした。
すると、自分と向き合うことが増え、じっくり考える時間が増えた。
忙しいというのは心を亡くすと書くが、まさにそれは当たっているかもしれない。
私にはブラック企業で、ゾンビのようになって働いている友人がいる。
その子は、忙しすぎて友達と遊べる機会も少なく、月のほとんどは朝から夜まで仕事をしてねるだけだという。転職について考える時間もないという。
それで人生を満足できていればそれに越したことはないが、もちろんそんなことはないようだ。
しかし、辞めることを考える心の余裕がないという。
すなわち心を失ってしまっている。
心を亡くすことは自分自身を見失ってしまうことになりかねない。解釈は難しいが、人生は考えることを決して止めてはいけない。人間であるために。