83話 人見知りという人達の違和感

昨日、新卒時代の同期の女の子に久々にLINEをしてみた。

会社の現状について、一社員目線から聞いてみようと思った。

 

たまに1年以上も連絡を取らなかった友人にLINEを送ると思わぬ情報が入ったりして面白い。

 

その友人からは特に有益な情報を聞き取れなかったが、「最近、異動していい人が多いが人見知りのためなかなか話せない」という。

 

久々に人見知りという言葉を聞いた。

 

石垣島にいると、人見知りの人に合うほうが難しいくらいみんなおおらかでフレンドリーだ。

移住してくる人たちはおかしな人が多いが、人見知りの人はほぼ出会ったことがない。

 

人見知りについて考えてみる。

 

人見知りは辞書に、子供などが知らない人を見て、恥ずかしがったり嫌ったりすること。と書いてある。

 

そもそも20年以上も生きてきた人がなぜ未だに人見知りなのか、私は疑問だった。

 

長い間ずっと、どこかに籠っていてコミュニケーションの正しい取り方を知らないというならまた話は別だが、何十年もたくさんの人に出会いコミュニケーションをとって生きてきたということは多くの人に共通する。

 

それなのに、人見知りを大人になって発揮するということは、もはやコミュニケーションを自分から避けているのではないかとすら感じてしまう。

 

20年以上も新しい人に出会い続けて、コミュニケーションスキルを実践とともに積み上げてきて、それでも未だに人見知りするというのは、理解しかねると私は思ってしまった。

 

聞いてる側の人によっては、こいつはコミュニケーションを避けているのか、考える力が少し欠落しているのか、と思われかねない。

 

同じことを10年もやっていれば、確実に上達するはずだ。

 

仮にテニスを20年やってきた人に、「テニスをしましょう」と誘ったとき、「私はテニスは初心者みたいなものなので、うまくできないです。」と言われたら。

 

なんだこいつ。となるだろう。

 

同じことも「人見知り」という状況でも起こしている。

 

自分を表す言葉には特に注意が必要だ。

それが思わぬうちに、相手を避けてしまっているかもしれない。

 

まさかの収穫を得たLINEだった。