84話 とんでもないやつと思ったら、そいつの常識の世界に自分が入っただけである

先日、友人から「あげたピアノを返してほしい」という電話が来た。

 

私は久々に頭に来てしまった。

あげた物を返してくれなんて、大人が言うことなのか?と人間性を疑ってしまった。

 

「そもそもあげてない。」というので、自分にくれた際のLINEの内容を送ったが、「あの時はあげようか迷っていたから」と理論がずれすぎて、話にならない。

 

私は、こいつは頭くるってるのか?とイライラいしていると、相手は

「そんなにおかしいことかな?」と言うので、価値観が違いすぎていると思い、ピアノを返すことにして電話を切った。

 

 

イライラしても、埒があかない

そこで私は立ち止まってふと考えた。

「これは、もしかして俺がおかしいのかもしれないのか?」

 

自分と相手の価値観のずれは、もしかしたら自分が客観的におかしいということもあり得る。

 

 

噛み砕いて考えてみた。

私はなんでこんなにイライラするのだろう? と思い返すと

小学2年生の頃、私が一人の友人に「あげたものを返して、別の奴にあげてくれ」といって、教室で大乱闘になったことがある。

 

それですこぶる親と教師に怒られた思い出があったから、小学生の頃にして怒られたことを30過ぎの奴に言われたことがあまりに信じられなかった。

 

私が違和感に感じるのは、相手の常識の世界に入り込んでしまっているからだ。

今までは、自分の常識と言う武器を振りかざして相手をひれ伏せようという考えだったが、今は一歩下がって客観的に見ることが出来るようになった。

 

戦いたいと思っても戦ってはいけないこともある。

それは戦いの末に何も生み出さない戦いだ。

 

自分が挑む戦いの種類を見極めないと、ただ損をするのに、感情に振り回された末に何も残らないという結果になる。