☆85話 死にたいという友人に伝えること

昨日、友人から自殺しようとした。という連絡をもらった。

仕事もやる気がなくて、何をしていいのかわからない。働いてなくてニートの自分はなんで生きているのだろう、と思ったらしい。

 

この状態でいる時に、いきなり論理的に話しても、考える力と判断力が衰えているだろうから、そこでは限りなく分かりやすい説明と感情に訴えることを心がけるようにしている。

 

私はここで思ったことは、こいつの悩みは、

「入り込んでしまった他人の常識の世界から抜けるため、背中を押してくれる人を探している。」ということだ。

 

私は、重度のうつ病で本気で死のうと思っていた長い時期がある。薬も飲んでいた。

だからこそ、彼らの悩む本質が見えることがある。

 

「私は、なんのために死ぬのか?」と問いてみると、

「誰にも迷惑をかからなくなるから。」と言う。

 

その時点で、もう自分視点でしか物事を考えられなくなっている。

 

ここで、私に伝えられることは

「今ない物じゃなくて、今あるものを見てくれ。」 ということだった。

思い悩むと、自分にあるはずのものを見失ってしまう。

 

家族にしても友人にしても、恋人にしても、自分の才能にしても。見えるはずのものが見えなくなる。

 

何もやりたくないときは、何もしなければいい。

働かないといけない、というのは他人の常識である。それが、本当に自分の常識かどうかを考えてほしい。

 

人生には必ず、バッファーといって、緩衝になる時間が必要だ。

予定をぶっ続けで詰め込んでいる人は仕事ができない。仕事ができる人は上手く休む時間を入れて生活をしている。

 

それは人生でも同じだ。

何もしない時間と言うのは実は、とても必要である。

 

私も、薬剤師をしている時に、うつ病になったが、その時に何かをすることをやめて海外に逃げた。

 

・薬剤師の資格を持っているから薬剤師でないといけない。

・日本にずっといないといけない。

・英語が話せないと海外で暮らせない。

・仕事をしないといけない。

・周りの目を気にして生きないといけない。

 

など、数えきれないほどの他人の常識の世界に自分の身を置いていたから自分は苦しかったということを海外で何もせず、ただ生きていて初めて実感できた。

 

自分の思うように生きてみればいい。そこで自分にとって必要なものが見えれば、そこから自分でやるべきことを導き出していけばいい。

  ↓

それは、働かなくちゃいけないという他人や世間の常識ではなく。

生きるために自分が必要としている、という自分の常識で働くことができる。

 

他人の常識ではなく、自分の常識で生きてみれば悩みは減っていくかもしれない。

 

何が見えるかではなく、そこに何を見るか。