92話 質問されたことに答えないコミュニケーション

日本にいると、質問に答えない人が意外に多いことが目に付く。

 

英語で話すと、言葉はシンプルなので、あいまいな表現というものが少ないが、日本語は良くも悪くもあいまいな表現が多すぎる。

 

政治家も、忖度するとか、極めて遺憾であるとか、感情を分かりにくく説明して、本心は何を考えているのか分からないということがよくある。

 

質問に答えないとは例をあげると、こういうことだ。

 

「明日空いてる?」

「明日は、野球するんよね」

 

この場合、聞いていることは予定が空いているかどうかであって、何をするのかを聞いてるわけではない。

答え方としては、空いてるor空いてない

 

というべきだが、これでもコミュニケーションはつながる。

 

この感覚で会社で仕事をしていると、仕事ができる上司なら、こいつは使えないかもしれない。と感じるだろう。

 

質問に答えるということと、相手の求めている答えを理解することは似ていて異なるものだ。

 

友人間でも、聞いた内容に答えてもらえないことがあると、たまに指摘したくなってしまう。

 

だが、さらに深く考えると、この感覚で生きてきた人がいまさら私の指摘で今までの間隔を脱ぎ捨てるということはあるのだろうか、その時間に意義はあるのか、と考えた末私は何も指摘しないことも多々ある。

 

日本にいるとつくづく思う。

指摘する人、叱ってくれる人というのは非常に少ない。

 

これは嫌われたくないという感情からだろう、言われない人はずっと変わらない。

 

指摘できるということは相手のことを思う気持ちが必要なことがほとんどだ。

その人の人生なんだから、という風に友達にも指摘ができないようならそれは友達でもなんでもない。

 

一緒に時間をつぶすだけの関係の人ということだ。

 

 話を戻すと、質問をされたときに、相手の求める答えは何かを考えなければならない。

それが理解できるようになってくると、周りに人は自然と増えてくる。