人に物事を教え伝えることは意外に難しい。
何が難しいかというと、指導を諦めないためには自分と戦い続けなければいけないからだ。
学校や塾の先生だったり、金銭を受け取り仕事をすることとは別に、教えるということがある。
仕事で部下に常識を教えたり、知り合いの子供に人生を教えたり、後輩に生き方を教えたり、直接の金銭を受け取らない指導だ。
ここでは、相手の未来の利益を主目的として自分の時間を削ることになる。
すなわち自分との戦いだ。
人に教えるうえでもっとも簡単なことは、諦めること。
諦めるということは、一番簡単だ。覚えが悪い人に教えるのが面倒臭くなれば教えることをやめればいい。
大人になって、「この人は今まで何を学んで来たんだ?」と思ってしまう人が意外に多い。
その人たちに共通することは、人に指摘をされて来なかったということだ。
人は叱られることは嫌いだが、叱ることはもっと嫌いだ。
「嫌われるかもしれない。」 「言って相手が聞く気がなければ、時間の無駄にしかならない。」
など基本的に面倒だから人々は指摘ということを普段しない。諦めて関わりを絶つ方が簡単だから。
この人のここが嫌だな。と思ったら、静かに関わりを絶つ。それがほとんどの人だろう。
そうすると目立った欠点を持つ人は、指摘を受けずに自分で気づくこともできずに、ずっと欠点となる部分を振りかざして生きていくことになる。
そこで、叱ることが出来る人に会って初めて、自分の未熟さを知ることになる。
指摘する人と、指摘される人両方が自分との戦いを続けられた結果、変化という成果が得られる。
指導される側が聞く耳を持たなければ変わることはまず無理だ。
変化が起きるまで指導する側にはとてつもない根気が求められる。
自分に目に見える実利がなくても、人の為に自分の命の時間を削ってまで思いを伝え続けた人だけが真の人を導く人になるのではないだろうか。と感じた