100話 人生終わった、と思うのは他人の目が気になるからだ

よく髪の毛をすごい時間セットしていたり、服を選ぶのにすごく時間をかける人がいる。

 

私は、このほとんどは意味がないと思っている。

まず、髪の毛について、30分のセットと1時間のセットで効果はそこまで変わらない。人間は自分のことにしか基本的に興味がないので他人のことなんて事細かく見てることはまずない。

よっぽど大きな変化ならわかるが、1時間と30分のセットの違いを分かる人は限りなくいないに等しいだろう。

 

それなら30分髪をいじればいいと私は思う。

もし、1時間みっちりかけないと一部だけパーマがかからないとかなら分からなくもないが、他人はほとんど見ていない。

仮に見られていたとして何に困るのだろうか。

 

他人に見られたら恥ずかしいと言って、謎に気にしている人がいるが、それがいったい何になるのか。

 

服にしてもそうだが、服を自分でどれだけ選んでも、他人はよっぽど目立つ服とかでなければ見ていない。

 

「昨日友達はどんな服着てた?」と聞いて答えられる人はまずいないだろう。

それくらい他人のことなんてみんな気にしていないのに、なぜ自分は他人から気にされていると思うのだろうか。

 

私が良く言うのは、仮に相手が見ていたとして自分は何に困るのだろうか、仮に変な服を着て、

それを町の人が見ていたとして自分になんの害があるのだろうか?

 

恥ずかしいと思うことがあるが、それを他人が一生覚えているのだろうか?

 

他人が恥ずかしいと思っていたであろうことを、生きていれば幾度となく見てきたはずだが、それを一体いくつ覚えているだろうか?

 

大人になってうんこ漏らしたとして、その時は恥ずかしいことかもしれないが、それは逆に武器にもできる。

うんこを漏らしたことをずっと他人が気にしているだろうか?恋人とかなら引くだろうか、別に引かれたところで人生が終わるわけではない。

 

人生が終わるのは自分で「人生終わった。」と思った時だけだ。

自分で恥ずかしいと思って、周りの目を気にしている時に、人生終わったというような状況が起きる。

 

他人を気にしなければ、人生は終わらない。

 

自分の世界で人生を終わらせられるのは自分だけだ。

 

他人の目なんか気にせず、自分が思うように暮らせばいいのに、自分の人生を自分で生きにくいように制限している人がたくさんいる。

 

誰もあなたを見ていない。

あなたも同じように、誰も見ていない。

 

それが分かることが生きるためにものすごく大事なことだ。