つい先日、夜に友人と3人でモリ突きに行ってきた。
一人プロ級の友人がいて、1回やったことある私と、初めてのもう一人の友人Sと行った。
友人Sはとても怖がりで足がつかない深いところは怖いと言っていた。
波が強く、少し寒い中海に入り、沖の方へ300mほど泳いで行った。
序盤で目の前2mほどの距離でマンタが出たり、海へびがいたり、危険ながらもなかなか見れない景色が見れて刺激的だった。
モリ突きのポイントに行く途中にサメがいた。1.5mほどのおそらくネムリブカだ。
友人Sは私達2人の後を追って泳いでいて、サメを見ていなかった。
サメがいたので私とプロ級の友人で、サメについての対応について話していた。
魚を持っていると、サメが寄ってくるので、もし近くまでサメが来たら魚を捨てて、逃げ、最悪はサメの鼻を触るように戦おうということになった。
その話を聞いたSは、
「え、サメ?やばいよ、帰ろ、帰ろ!!」と少しパニックになっていた。
私は、「サメはまだいないけど、いたらの話だよ」と嘘をつくと、
「なんだ、いたらか!」とSは喜んでいた。
そのまま、ポイントへ行き、モリ突きをして、6匹ほど突いて帰った。
突いた魚は刺身と塩焼きでいただいた。
ここで学んだことは、怖いと思う者が例えいたとしても、いないと思えば怖くはないという矛盾についてだ。
この言葉が意味していることは、現実は作れるということ
現実ではサメは近くにいるのに、それを知らないことで、サメはいないという仮想現実を頭の中に作り上げ友人Sは海の奥まで行くことが出来た。
オウム真理教などの宗教の教祖はこの事実に、私よりももっと早く気が付いた人たちなのかもしれない。
私は人を操るつもりも、宗教に入るつもりもない。
現実を作り上げることが一種の洗脳であり、これを駆使すれば人の向上心を上げることにも意識改革にもつながっているのではないかと感じた。