☆110話 軸を自分にして承認欲求を捨てて楽になろう!

最近、芸能人の自殺が話題に上がることが多い。

 

芸能人と言うのは、他の仕事と比べても特に周りからの評価を気にして生きていかなければならない仕事だ。

売れればお金がいいかもしれないが、それだけのリスクはとてつもなく大きい。

 

プライベートでも誰かに狙われている。それはファンかもしれないし、度が過ぎたストーカーかもしれない、パパラッチのような記者かもしれない。

 

プライベートで知らない人から、話しかけられることも多いだろう。

「写真を一緒に撮ってほしい」 とか 「握手してほしい」 とか

 

一般の人がこの立場に変わったらいやだと思うことが多いはずだ。

 

友達と遊んでいる時や、デートしている時に、急にまったく知らない人が話しかけてきたり、勝手に写真を撮ってきたり、握手を求めて来たりするのだ。

もはやプライベートなんてものはないに等しい。

 

それを冷たく断れば、「あの人は、対応が悪い、調子に乗っている」とかSNSなどで書かれ、叩かれかねない。

 

評判が落ちれば、イメージが悪くなるため、企業も広告として採用しなくなったりして仕事も減っていく。

 

常に周りの目を気にして生きていかなければならないように感じる仕事だ。

 

テレビに出ている以上は、多くの人に見られ、よりよく見られるために頑張らなければならない。

それが休みの日に外に出ても休みであっても周りの目を気にしている。

 

強い承認欲求が求められる仕事が、多くの人に見られているタレントと言う仕事ではないだろうか

 

少し考えただけでも、生きにくいように感じる。

芸能人と知り合えて自慢できるとか、お金がいいというメリットがあるにしても、その代償は大きすぎる。

 

 

ここから噛み砕いて考えられることは

承認欲求は、麻薬に近い呪いだということだ。

 

相手の喜ぶことをして褒めてほしい。そこで喜びを覚えて、また人の目を気にして生きていく。

そこで認めてもらえなかった時のダメージは大きくなる。

 

時には人を死に至らしめるようなこともあるだろう。

人が認めてくれないなら自分は生きるに値しない。なんて考えてしまう人もいるだろう。

 

自分の価値は自分で導き出せばいい。

 

自分が好きに生きればいい。

周りの目なんか気にしなくていい。他人の顔色を窺って生きる必要はない。自分の人生なのだから。

 

私は、ある日を境に、友達の結婚式にも行かなくなった。

葬式にも行かなくなった。

 

自分が行きたいものには参加する。

参加できなくて、祝う気持ちがあれば、個人的にお祝いをしてあげる。

別にセレモニーに出ることが相手のこと思っているということではない。

 

なのに、それを分かっていない人が多いように感じる。

 

「あいつは俺の結婚式に来ないからあいつは俺を友達だと思っていないのか。」

なんて考えてる人は、承認欲求にとらわれている。

 

結婚式にこない友人がいれば、来ない理由があるはずだ。

その選択肢の一つに、友達だと思っていないというのがあるかもしれないが、選択肢の一つを勝手に答えだと思う必要はないのだ。

 

世界は広い。

 

考え方はもっと広い。

 

その中で身の回りの他人の視線の中だけで生きていることを疑問視してほしい。と感じた