111話 殺した方がいい命 と 殺さない命の違い?

昨日の夜も仕事終わりに友人とモリ突きに海へ出た。

波がだいぶ荒く、水も濁っていて、怖い感じもしたが、怖さの先に新たな世界があると思い突き進んだ。

 

自分より泳ぎが上手い人と行くと、そこについていくために自分の限界だと思う範囲を超えてついていくので限界突破して自分を高められる。

下手したら死ぬが。

 

 

魚を突いていて思うことがある。

「魚って本当に痛み感じないの?」

 

ということだ。モリを刺したときに、神経部分を一発で刺さないとものすごく暴れる。

まるで痛がっているかのように感じる。

 

そもそも魚はなんで痛みを感じないと言われるのかを調べると。

表情が変わらないからとか、頭を切り落としても体だけで泳ぐことができるから、というような理由があるらしい。

 

魚の表情は、我々には変化が見られないが、もしかしたら少しは変わっているのかもしれない。

ちなみに最新の研究では、魚に痛覚の様なものがあるのではないかと言われている。

ヤドカリを使った実験では、電気刺激で殻を捨てて逃げたヤドカリがいるという結果も出ている。

 

今更な感じもするが。。。

 

 

たまに魚を刺して、刺しどころが悪くて逃げられてしまったり、体を引きちぎってまで逃げてしまったときに、殺せなくて、中途半端に傷つけてごめんなさい。と思うことがある。

 

似たようなことは世界中にある。

 

オーストラリアの田舎に住んでいて、カンガルーを轢いて、そのお腹に子供がいたら子供を殺せというような話を聞いたことがある。

 

子供が一人で何もできなくて可哀想だから、命を絶たせてあげるのだという。

(オーストラリアではカンガルーは害獣であり、道路には普通にカンガルーの死骸がたくさんある。毎日のように田舎町では轢かれているので珍しいことではない。)

 

こう考えると、絶たせてしまった方がいいと言われる命がある。

 

 ここで不思議なのは、人間では命を絶たせることはないかなり例外的ということだ。

最近ALSの患者が、苦痛に耐えきれないから殺してくれと言われ、殺した医師が逮捕された。

 

法律に違反してはいるが、私は悪いこととは思わない。

行ったことに対してどちらも利があり損をしていないからだ。

 

生きているのが苦しくて、なんの希望もなく、寝たきりだとしても殺すことは許されない。

日本では安楽死と言うものは認められていない。

 

動物だと、殺して楽にしてあげよう、という気持ちになっても

人間では許されないところに、金銭的な闇を感じてしまう。

 

人を減らすと困る人達が存在しているのではないか、人が減ると入ってくるお金が減ってしまうという団体もいるだろう。

 

闇が深いことはどうしようもできないが、人間も1種の動物と考えると、命に差をつけることに疑問を感じてしまう。