120話 目を背けないと幸せにはなれない?

「幸福と人生の意味の哲学」という本を読んでいるが、えげつないくらいに難しい。

今まで読んだ本のどれよりも難しくて全然進まないが、幸福とは何かということを追及している。

 

「幸福、すなわち幸せになりたい」というようなこと口にする人は多いがその漠然としすぎたものをほとんどの人が捉えきれていない。

 

先日も友人から、「早く幸せになりたい」というような相談の電話があった。

年齢的も上がるが、結婚相手が見つからずに悩んでいる様子だ。

 

私は「あなたにとっての幸せになりたいってどういうこと?」と聞くと

「わからない。」   との返答だった。

 

意味も分からないものになりたがっているあなたは一体何をしたいのか、ただ漠然とした不安の中に押しつぶされて頭までダメージを受け始めているのか?と心配になった。

 

幸せについて、私の考えついた定義では『今ある現状に満足できる自分でいること』だと思っているが、このために目を背けないといけない部分が存在する。

 

3か月ほど前に、「彼氏ができました!」  と友達から連絡がきた。

その彼氏は、一般的にいうやばいやりちんなので、「その彼とはうまくいかないと思うよ。反対も賛成もしないけど、自分で考えて結論を出したほうがいいよ」

とアドバイスした。相手は付き合い続けて結局痛い目にあった。

 

これは意見が分かれるところだろう。

恋人が浮気してたとしても知らなければ幸せだ。という人と、真実なら知っておいた方がいいという人。

 相手が悪い人と知っていて、友達に、勧めても 反対しても その友達を助けることはできない。

 

なぜならその友達は付き合う前提で話しているのだから、反対されれば今現時点で落ち込み、賛成すれば、未来に痛い目に合って落ち込む。

 

アドバイスでも助けられないアドバイスもあるということを知った。

 

 

その他の例でみると、ブラック企業の社長だ。大体ブラック企業の社長はいい給料をもらっていい生活をしているが、この社長が馬車馬のように働く社員によって自分が裕福な生活をできるということに目を向けてしまうと、幸せからは遠くなってしまわないだろうか?

 

見ないからこそ幸せでいられるということだ。

 

普通に楽しく生活している我々も、実は世界中に飢餓で苦しんでいる人たちがいることや、重度の病気で歩けない人、話せない人、瞬きしかできないで生活している人がいるということを考えると笑って生きていることはいいことなのか?とすら思えてくる。

 

結局、幸せになるには目を瞑らなければいけない部分が存在している。

 

見ないことが幸せになるなら、我々は何を見て生きていけばいいのか難しい課題を手に入れた一日だった。