日本で会社に入ると、まったく仕事ができないけどとりあえず雇われている人がいる。
私にはこれが信じがたい。
わざわざ残業代欲しさに仕事をゆっくりして残る人や、他人任せで全然仕事をしない人もいる。
なんでクビにしないのか?と思ってしまう。
私がオーストラリアで仕事をしたときは、使えない人はすぐクビになっていた。
農家だから、仕事ができない人が多いと損失が目に見えて分かるというのもあるだろうが、それはどの仕事に置いても変わりはないはずだ。
面白かったのは、まったく仕事が出来な過ぎてクビになった奴が、次の日も仕事に来た時だ。
ボスはメチャメチャキレていた。
クビになった奴を連れてきた人もクビになっていた。
長い間働いて、クビになった人はかなり多くいた。
それだけ、できる人で仕事を回し、最高の結果を求めるという理念があるのかもしれない。
日本にいると、とりあえず無駄に仕事を作ったり、使えなくても基本はやめさせないという非効率的で、無駄を自ら作っているような文化が残っていて嫌気がさすことがある。
ただ見方を変えると、よくアリの習性が例に出される。
アリは2割が働き、2割がサボるというようなものだ。
私が思うのは、大きな会社とかだと、仕事ができない人を見下して「自分がこいつらより上にいるんだ」、という感覚で頑張れる人が意外に多いということ。
その点で、仕事ができる人が多くの利益を出せるなら、仕事ができない人は存在だけである種大きな意味を成しているのかもしれない。
ただ、私が、オーストラリアのキャベツのチームに入ってキャベツを刈っていたときは、毎週のようにチームのメンバーが変わっていた。時給制ではなく完全歩合制と言うのも関係あったかもしれない。
仲がいいとは言えなかったが、仕事ができない奴はすぐクビになって、それもあり徐々にメンバーは近づいて行った。
「この連鎖はどこまで続くのか。俺もいつかクビになるのか?」と思ったが、この連鎖には終わりがあった。
ある日を境にメンバーの変わりはなくなった。
その頃のメンバーは、変わりがいないくらい全員最強と言っていいようなメンバーだった。
全員横並びに能力が高い時と、少しの差でも許容できるような心を全員が持てた時にいいチームは出来るのかもしれない。
そこからかけ離れた能力の人は淘汰されるのは、会社としては仕方ないことだと思うが、簡単にクビに出来ない日本の会社は大きなリスクを抱えているような気がした一日だった。