最近とんでもない額のお金を株で損失した。120万円。。。
一体何か月働けばためられるんだろうか?というくらいだが、ここで大きなことに気づかされた。
お金に支配されている。
自分を見失っていた。ということだ。
お金を失って気づくことは、お金にどれだけ執着していたかということだ。
執着というものに対し、意識して向き合える人は意外に少ない。
だからこそ、ストーカーになったり、恨みつらみで人の足を引っ張ろうとする人が多いのかもしれない。
たかだかお金がいくらか無くなったくらいで自分は情けない。と感じてしまった。
コロナ禍で、生計が立てられない人、感染によって亡くなった人、自殺をした人、沢山いる中で生きていることはなんてすばらしいんだろうということを久々に思い出した。
以前もこんな感情になったことがあった。
カジノでお金が全部無くなってから、真面目に働きだした時、
浪費も止めて頑張って貯めたお金を、仕事に行っている間、家に入った泥棒に全部とられてしまった。
ベッドの横には家で普段使っている包丁が置いてあった。
もし家で泥棒と出くわしていたら刺されていたのかもしれない。
大したお金も持ってないのに、入った泥棒に刺されるなんてことになっていたかもしれない。
その時の自分は、笑っていた。
友達がみんな、「こんな時に笑っているお前はイカれている」と言った時に思った。
泥棒も生活に困っていたのかもしれない。俺の金を取ってまで生きようとしてるんだから、それでいいじゃないか。と
生きているだけでいい。お金は無くなっても生きていることより大事な事なんてないんだ。
とその時に感じた。
死んでしまったら持っていたお金なんて、なんの意味もなさない。使えないんだから。
死んでしまったらまったく使うことのできないお金に執着して生き続けていることに意味があるのだろうか?と思った。
沢山持っているからいったいなんなのかと。
それならお金を貰わないでも人の為に何かできることはないか。と考えて生きることの方がよっぽどお金に執着して貯め込むよりも意味があるんじゃないか。と感じた。
大賢者へ少し近づいた。