最近、薬局に来た患者さんで子連れの母親が来た。
子供が最初に入って来て、私にタメ口で話をしてきた。
もう確か10歳は過ぎていたので、
「こいつは誰様に向かってタメ口を聞いているんだ。」と心のどこかで思ってしまった。
私は小学校1年生の時点で既に年上には敬語を使っていた、上の学年にはもちろんだ。
むしろ使わないと先生にぶん殴られたし、周りからの目も非常に冷たかった。
こいつは敬語も使えないのかっていうさげすんだ目はいじめにもつながる。
そんなこんなで10歳過ぎの子供と話していると母親が入って来た。
頭もすごい明るく染めて、見るからにヤンキーそうな親だった。
真面目にヤンキーやってたなら、上下関係は厳しいし子供のしつけはしっかりやっていそうな気もしなくもないが。。。
その親はさすがに私には敬語で話していたが、子供には
「おめーさぁ・・・」という感じで呼んでいた。
これは家庭の事情なので、どうでもいいが、母親が自分の子供に
「おまえ」とか「てめー」 というのは聞いていて気持ちのいいものではない。
これはしつけなのだろうか?おまえと呼ぶのは新しい教育だとしても一般的に必要最低限できるべきものはあるのではないかと感じた。
この親は子供を何と思っているのだろうか。と思った。
こんな子供が10歳になっても他人の大人に敬語で話をできないことが、恥ずかしく思えてしまった。
私も周りの目を気にせずに行動するが必要最低限のモラルは守っているつもりだが、時代が変わっていることに変化の中心の世代の自分ですら何か違和感を感じた。
足並みそろえて育てるという子供の教育がまかり通っている中で、敬語が使えないことも個性になっていくのはどうなのだろうか。
ふわちゃんみたいな人間が出てくるのはかまわないが、これが世間で出てきたときにつまはじきにされる。それくらいつみあがった敬語と言う概念の強さを改めて実感された。
敬語ってある種の宗教ではないかと感じてしまった一日。