石垣島にいると、奥さんがいないと何もできないというおじいさんやおっさんに出逢う。
たまに若い人でも子育てとか家事は全部奥さんに任せているという者もいるので驚いた。
薬局でも、そんなおっさんがたまに来る、支払いも奥さん任せで病院にも奥さんについてきてもらうというような光景だ。
今の時代の恋愛では、そんな何もできないし家事をしない人はまず結婚相手の対象から除外されるだろう。
亭主関白だなんて言って、こんなことがまかり通っていた時代があったと考えると女の人の負担はすごく大きかったのだろうなと感動してしまう。
おじさんが病院にかかって薬を貰うわけだが、薬局に入って来て、話を聞くのは奥さんでお金を払うのも奥さん。旦那はただ座ってボーっとしているだけだ。
なんだか、この女の人は幸せなのだろうか?と疑問に思ってしまう。
私的には、家事ができるというのは大人としての必要最低限の能力だと思っていたがそういうわけでもないらしい。
人間は赤ちゃんから子供になっていき大人へと育っていく。
その過程で一つ一つできることが増えていくが、生活する上で必要不可欠な能力である
食べ物を準備する、衛生面で適切な状態を維持するために洗濯をしたりなど、生きる上で重要な能力が身についていないという風に私には見えてしまう。
そんな人たちを見ていて、今まで何もしないでボーっとしていたおじさんが、奥さんから財布を受け取って初めて自分で支払いをした時は謎に感動してしまった。
今までできなかったことが出来たように見えてしまった。
このできない⇒できるというギャップは人を動かすのかもしれない。
しばらく一人暮らしをしていて、それを効率的になんて考えていたら、洗濯も掃除も料理も誰にも負けないくらい早く良い結果を残せるようになる。
そうすると、他の人の必要性が徐々に薄まっていってしまう。
ずっとなんでもできる人は、緩急がなく逆に魅力がないのかもしれない。
と、世の中の不条理を実感した気がした。