具体と抽象を理解すれば、他人の思考が分かるようになってくる?
今回は、読んでみて非常に面白かった
「具体と抽象」という本について書いていきたいと思います。
こんな方におすすめ!
・友人や部下と話が噛み合わないことが良くある。
・会議で答えがいつもまとまらない。
・上手く説明ができない。
・他人の考えがイマイチ理解できないことが多い。 などなど
人間の思考のほとんどは、具体と抽象というものの行き来で成り立っている。という新しい概念で物事の問題の原因がわかるようになる。
そもそも具体と抽象とは何か?
具体;目に見える実体と直結している
抽象;目に見えないグループ化された概念。
という分け方だが、実は無意識のうちに我々は具体的と抽象的と言う概念を行ったり来たりしている。
分かりやすい例を挙げると。
おにぎり(具体的)⇔米(抽象的)
米(具体的)⇔食べ物(抽象的)
と言った感じで言葉がグループ化されている。
そして、このグループ化は一直線上に、入れ替わりしていくこともある。同じ物でも捉える範囲によって、具体にも抽象にも成り得るということだ。
その中でも我々がもっとも使用している抽象化されたものと言えば
『ことば』と『数字』である。
この2つを使いこなせたからこそ人間は、他の動物より抜きんでた存在になったともいえるだろう。
言葉とは、特に複雑で幾層にも抽象化レベルがあり、それが人によっても異なっている。それこそが議論がかみ合わなくなる原因である。
【仕事は上流から下流にかけて、抽象的な大きな仕事から、具体的な細かい仕事に変わっていくもの。】
「顧客の声を聞いたほうがいいのか?」という永遠のテーマのようなものがあるが、それもまた具体と抽象で説明ができる。
・顧客の声は、具体の目線でのものが多く、椅子を例にすると
高さをもう少し高くとか、クッションを柔らかくとかそういうものだ。
・顧客の声を聞かないというのは、従来では想像もできないような革新的なアイデアで、折りたためる椅子や物が入れられる椅子など、抽象レベルで革命的なものだ。
こちらの方が大ヒットを生みやすいともいわれている。
議論を嚙合わせるには、
”どのレベルの抽象度で話しているか”
を理解することが肝心だ。
似た話が、映画化された小説にも当てはまる。
小説を読んでから映画を見ると「イメージしてた主役と演じた主役のイメージが違う」ということがあるが、いきなり映画を見るとそう感じることはほとんどない。
それは小説の方が抽象度が高く、考えられるイメージの幅が大きいからこそ、固定された映画の演者に対し、自分が小説を読んで思い描いていたイメージをフィットさせにくいからだ。
抽象化は実はすごい能力。
抽象的と具体的に関しては、一般的には具体的な方がわかりやすくいいイメージがあるが、実は抽象化できることはすごく重要な力だ。
抽象化した方が分かりやすいこともあるからだ。
子供と話をすると分かるが、抽象化できる力がまだ育っていないため、具体的な言葉を多く使っている。
「たかしくんと、ガリガリ君を買いにファミリーマートに行ってたー」
という言葉も大人になるにつれ
↓
「友達と、アイス買いうためにコンビニ行ってた」 と短く抽象化して伝わりやすくなる。
・悩むということもまた、抽象化による。
人から悪口を言われた時に
↓
この人は私のことをよく思っていないかもしれない。
などと考えることは、具体的な行動を抽象化して、物事の幅を大きくとらえることができているということだ。
一般教養は必要なのか?
巷で、「数学なんて将来必要なくない?」というような言葉をよく耳にするが、この概念を持ってしまっている時点で抽象化の学習は失敗しているという。
言葉も数も抽象化による概念というように、数学は特に、細かい数字を数式化してまとめていくような抽象化する学問であるからだ。哲学もそれに近い。
一般教養は抽象度の高いものを学び、それを具体化していき色々な形に応用できるようにするための学問であって、それを具体として受け取ってしまうからこそ、素材として必要性を感じられなくなるのかもしれない。
たとえ話が上手い人というのがよくいるがこの人は、
具体化⇒抽象化⇒具体化 という作業を瞬時に行っている。
例を挙げてみると、4人の人が縦に並んで歩いているのを見て、ドラゴンクエストみたい、と思えたらそれはこの作業が無意識に行えているということになる。
4人組が縦に歩いているということを、パターンとして捉え、同じように4人で並んで歩くドラゴンクエストのゲームをイメージしてたとえ話として引き出すという流れだ。
余計分かりにくくなってしまったかもしれないが、これがすぐに行える人はたとえ話が上手い人である。
最後に、個人的に私が面白いと思ったことは、動物と人間は会話することは非常に難しいということ。それは抽象化という十分な能力を動物が備えていないからだ。
「ごはん食べる?」という言葉自体がかなり抽象化されてしまった表現であって、動物には、ごはん も 食べる も理解ができない。
それを一つ一つ具体化して理解させていくことから始めないと会話は成り立たないということだ。
すなわち、抽象度のレベルが異なれば、動物とだけではなく同じように人間同士もコミュニケーションをとることが難しくなる。
逆に抽象度のレベルを自在にコントロールできるようになれば、噛み合わない議論というのは減っていく可能性が十分にあるということだ。