膝の痛みを抱えた肥満の高齢者。取り返しのつかなくなる前に伝えたいこと

 

人間には元に戻れなくなる境界が多数存在している。

こんばんは、雨で洗濯物をしばらく取り込めていないまま放置しているよすきーです。

 

みなさんは今までの人生で

「もう戻れない。」っていう境界がありませんでしたか?

 

それはどこで感じたでしょうか?おそらく1度や2度ではなかったはずです。

 犯罪を犯した時、好きな人の家のトイレを詰まらせた時、気持ちを誰に伝えられずに卒業してしまった時、、、

 

私が今回書きたい境界線、もうみなさんタイトルで分かったかもしれませんが、

 

それは、ひざの痛みを抱えた高齢の肥満になっちゃダメ。

ということです。

 

うんうん。という共感の声が聞こえてきます。

多くの方が謎の共感をされていることと思いますが、、これが何を意味するか。

 高齢者の肥満で膝が痛い

 

 医療系の仕事をしていると、様々な高齢者に会うことがあります。

その中でもどうにも声をかけにくいのが、膝が痛いけれど、肥満であり、高齢という3拍子揃ってしまった方です。

 

「先生から体重落とすようにって、言われちゃったけど難しいのよね」というような感じで言ってくるデブの方が多いのだが

 

「確かに、体重落とした方がいいですね。」とも言えない。

なので、心の中で太っているだけで罪なんだよ。と心の中でつぶやくようにしている。

 

太り続けた理由

 

太り続けているということは、運動も食事制限もせず、食べたいものを好きに食べて、「歩くのとか面倒くさい」と言ってだらけた生活を送ってきている人が多い。

実際にそんな人と数多く会ってきた。

 

膝が痛いのは、太っていてその体の重みが体を支えている膝に来てしまって、その負担に耐えるのが辛くなった膝が痛みの信号を出しているのだろう。

 

膝は歩く時でも体重の3~5倍の重さを支えている

そこに自分でウェイトをつけてきて、負担をかけ続ければそれはいつか膝が壊れてもおかしくはない。

 

という普通のことがわからない人がいる。

 

 以前、2ちゃんねる創設者のひろゆき氏が、糖尿病になる人は基本的に頭が悪いという話をしていた。(先天的な1型ではなく後天的な2型に関して)

 

医者から体重落として、お酒とかたばこ控えて、食事や運動にも気を付けてというような助言を無視して生活した結果、糖尿病になっている。というような話だ。

 

 私もこのような話をデブの知り合いにすると、仕事の付き合いがあるんだからしょうがないだろ!

と反論してくる人もいる。

 

仕事は強制させるものではなくやめる権利もある

 

仕事って強制じゃないよねという話が出てくる。

その仕事はあなたが選んでいるものであって、いずれ足や視力を犠牲にしてでも、続ける必要はあるのだろうか。というような話をする。

 

 今の結果は自分が選択してきたものの積み重ねだ。

 

そして、取り戻せない境界が太っていて膝が痛くなってしまった時だ。

これはある種の負のスパイラルにのめりこんでいる。

 

食べて太る。

  ↓

運動したいけど膝が痛くて動きたくない。

  ↓

代謝が悪くなり、また体重が増える

  ↓

食べて太る

 

という感じで運動というカードが切れない。食事制限も大事だが、糖尿病の患者さんは意志が弱い人が多く、体重を減らせるのは10人に1人ほどのようだ。

 

今できることは歩くこと

 

この境界を越えてしまう前に、少しでもいいから歩いてほしい。

少しでもいいから栄養について勉強したり、食べる量を制限したりしてほしい。

 

足が無くなって、歩けなくなってからじゃ、

視力を失って大事なものすら見失ってしまうようになってしまってからじゃ遅い。

 

 その時には気づかないかもしれない。

でも、いきなり足が無くなるなんてことはない。

体重が増えて見た目が太くなってくる自分への変化には気づけるはずだ。

 

周りが、豚を見るような目で自分のことを見るようになっているような変化には気づくはずだ。

 

それを無視してでも己の道を進んでいくことに自分へのメリットがあるかをよく考えてほしい。

 

 好きなものを食べてゴロゴロして、テレビを見て、という生活はいいかもしれない。だが、そんな生活は永遠には続かないはずだ。

 

そして私は太っている人が嫌いだ。だから負のスパイラルに入る前にぜひ歩いてほしい。私も毎日歩いている。

せめて人間として、考える葦としていられるように。

 

共に歩こう同じ空の下でみんなで。