ルールに縛られることについて意識していない
友達と歩いている時に、友達が信号を律儀に守っているのを見て、ふと子供の頃を思い出した。
自分は親父と外を歩いていて、信号を守った試しがない。
車が全くないところで信号を守るべきなのか?
「車が来ないという確信があれば信号を守る必要は無い。」
という持論を持っていた私は小学校1年生の時点で既に赤信号を無視していた。
交通安全習慣みたいな学校外での取り組みがあり、保護者が横断歩道に立って旗を持ち、子供たちが信号を守って止まるようにとしている時ですら何度か無視していた。
もちろん車が来れば待つしかないが、車がいなければそもそも信号を守る意味はない。という思いだった。
信号を守ることは大事だが、例外もある。
実際のことを言うと、信号を守る意味はある。
私の周りでも信号を守らずに命を落としてしまった人もいる。
何も知らない子供に赤信号では止まって、車が来るかを確認して青信号になってから渡るというルールを伝えることは大事だが、誰もいない道路ででも赤信号を律儀に守っているのは時間の無駄でしかないようにも思える。
今のところ、信号を無視したことでは、運よく私は1度も事故にあっていない。
近所で、信号を無視した大人に付いていって撥ねられた子供の事故があったがそれと自分が信号を守らないこととは別の話だ。
絶対的な自信があるから信号を無視する。
車が来ても、車の速度と自分の歩く速度をおおよそ概算している。このことを20年以上も行っていると考えると轢かれるはずがない。
律儀に教えを守る人は洗脳されがち
話しを戻すが、律儀に言われたことを守る人がいる。
その人達は、考えていない人が多い。
その行動になんの意味があるのかを考えていないから簡単に洗脳されてしまい、洗脳されていることにも気づかないまま歳を取っていく。
信号は一つの例だが、お金を貯金することも、一日3食食べることも洗脳だ。
考えを意識していないと、自分には不利益を被るルールにしがみついてしまっているということもある。
そこの意味を本気で深く考え理解したら、常識と言う壁にぶつかる。
しかし、私が会って来た人の中でも常識にぶつからない人はかなり多い。それだけ考えている人と言うのは少ない。
信号を守ることは大事な事と言うのは相違ない。
しかし、それがどんな状況でも同じと言うように、謎のパターン化していることで損をしていないだろうか、ということを一度見直してみないといけない。
考えることが人間の強みなのだから。