沖縄で出世が毛嫌いされる理由とは?

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沖縄の人の特徴

沖縄に住んでいると東京都はまったく違った人間模様がうかがえる。

 ※差別や抽象ではなく、見たままの良さや欠点も含めた特徴について書いていきたい。

 

沖縄に住んでいて、沖縄の人について知るべきだと思い、

「沖縄の貧困が亡くならない本当の理由」という本を読み、自分の実体験でも思うところが多々あった。

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同調圧力

 まず周りを気にしている人が東京と比べても多い。

みんなで助け合いの精神という気持ちで暮らす沖縄では、本当に素晴らしいことだが、その上でやはり周りに気を使ったり、悪目立ちをしないようにすることが重要なように感じる。

 

給料が上がらない現実

沖縄では最低賃金が全国最下位の820円だ。

(令和3年10月の改定までは792円だった。)

ここでなんで給料が上がらないのかについてだが、給料が上がると責任が増えたり、仕事が余計に増えたり、周りと立場が異なってしまうということを避けるために出世を避ける人が意外にもいる。

 

 出世して今まで仲良くしていた同僚より上の立場になってしまえば、注意したり衝突したりすることもあるだろう。そんなことをするくらいなら給料は低いままでいいというような実態が存在している。

 

給料を上げないというよりも、経営者が上げる必要がないという状態が続いているようにも感じる。

 

変に気を使って自分はズルをできないと思う人

最近、職場のみんなが欲しがっているものを30代後半の仲のいい仕事仲間にあげようとしたときの話だ。

私は自分が使わないのであげようとしたが、その人は快く受け取ってくれるかな、と思ったが結果は違った。

 

「みんな欲しがっているのに私だけズルはできないです。」という答えが返って来て受け取らなかった。

 

自分にはよく理解できなかったが、すべての人にすべてのものが同じように入るわけがない。

自分だけがみんなが欲しがるものを手に入れたら、悪目立ちするというような強迫観念が植え付けられているように感じた。

 

こんなこと言ってたら、飯食えないで死んでいく人がいるんだから私もごはん食べれないです、とはならない矛盾にまで目が行ってしまった。。。

 

マッチングアプリで思う思考力

沖縄で以前マッチングアプリをしていた時に東京都の大きな違いを感じた。

みんな顔を載せていない・・・

 

もちろん載せている人もいるが、圧倒的に少ない。

顔なしの景色の写真や、モザイクやぼかしで見えない顔だけの画像。

プロフィールは、何も書いていないか、1,2行だけの「本気で結婚したいです。よろしくお願いします」

のような挨拶の人が異常に多い。

 

検索条件を都心に帰ると顔を出していない人の方が少ない。

 

身バレするからというのももちろんあるだろうが、本気で結婚を目指しているなら顔も載せないとわからないし、プロフィールを書かないと目にも止まらないだろう。

 

それが、30代後半とかの女性でも多い。

本気で結婚したいです。といって景色だけの画像の人に積極的にメッセージを送る男性は少ないだろう。

 

それならまだ顔が見える人とやり取りした方が話がスムーズにいくはずだ。

見た目のコンプレックスや身バレの問題などもあるだろうが、自分の人生には代えられないのではないだろうか。

 

相手の立場に立った戦略についても問題があるのではないかと一つ感じた。

何で私が離島に住もうと思ったか。

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離島に住む理由

メキシコ漁師とMBAコンサルタントの話

「離島にいる」と言うと、なんで行ったの? と間違いなく聞かれる。

 

答えると長くなってしまうので

「離島に住んでみたかったから」と謎の答え方を毎回しているが何で来たのか、この機会にちょっと細かく書いてみたい。

 

昔、メキシコの漁師とMBAコンサルタントの話というものをネットで見たことがある。

下に載せておくが、簡単に言うと人生をリタイヤしたら、海のそばで楽しく暮らし本当の幸せとは何かについて考えるというものだ。

 

私は80代の人とかが、仕事をリタイヤしていく最後の人生を楽しみに行くと言う海のきれいな島に、若い時に行ったら何が見えるのかを見に来た。

 

人生のリタイアの先に見える景色を20代で見た時、その先に見える景色を見に来た。

 

 もう見てしまったから自分のここでの任務は果たしたことになる。

自分がまだ働き盛りで一生分食べれるお金がない以上は、お金を稼ぐことと人生を落ち着かせることが必要だということに気づいてしまった。

 

ビジネス目線で生きるなら生きにくい部分もある

ビジネス目線で生き続けるにはここの島では生きにくいものがあると思った。

意識を高くギラギラしたまま、のんびりしたリタイア後のライフを送るなんて矛盾はできない。

 

結局人生の最後にならないと、本当の最後に見える景色は見えない。

 

人生の順序を守る

若いうちに最後を見ようなんて、

すごろくでゴールからスタートへ戻るようなことはできない。きちんと進むべき道を進まないといけないのが人生なのかもしれない。

 

ただ進むスピードは決められる。

それが人生と言うすごろくなのかもしれない。

 

任務を終えた以上この先のここでの暮らしは自分にとって本気で過ごさなければ消化試合になってしまう。

前クリして全キャラ集めたスマブラをただひたすらやり続けることと同じだ。

 

東京では見れない島ならでは、田舎ならではの事情もたくさん見れた。

世界は広い。たとえ日本の中心の東京にいたとしてもしれない小さな世界がある。

 

 小さな世界も含めて大きな世界の中に住んでるということを知るにはとても貴重な経験をさせていただいた。まだまだ人生は終わらない。次の任務を探すべく、準備されたサイコロを振らなければならない時が近づいている。

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メキシコの漁師とMBAコンサルタントの話

メキシコの田舎町を、アメリカ人エリートコンサルタントが訪れました。

海岸に止めてある小さな船を見ると、黄色い背びれを持つ活きのいいマグロが獲れています。

それをみたアメリカ人コンサルタントは、その船の漁師に尋ねました。

「すばらしい魚だね、釣り上げるのにどれくらい時間がかかったの?」

メキシコ人漁師は答えます。

「そんなに長い時間じゃないよ」

「もっと長く漁をしたら、もっと多くの魚がとれるのにもったいない」

すると漁師は言いました。

「自分と家族が食べる分があれば十分さ」

「それでは、仕事以外のあまった時間は何をして過ごしているの?」

日が高くなるまでゆっくり寝て、漁にでて魚を少しばかり獲る。戻ってきたら子どもと遊んで、妻のマリアと一緒にゆっくり昼寝をして、夜には村の仲間たちと一杯やって、ギターを弾いて歌を歌って…ああ、これでもう一日終わりだね」

それを聞いて、コンサルタントはまじめな顔で漁師に言いました。

「私はハーバード・ビジネス・スクールを卒業してMBAを取得したコンサルタントとしてアドバイスしましょう。

まず、あなたは毎日もっと長い時間漁にでるべきだ。それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすれば、もっと魚を取ることが出来て儲けが増える。

そこでさらに2隻、3隻と船を増やし、最終的には大きな漁船団を手に入れることが出来るでしょう。

そうしたら、仲介業者を挟むのはやめだ。魚は加工業者に直接出荷して、最終的には自分の水産加工工場を建て魚を入れる。

製品、加工、流通に関してすべて自分でコントロールできるようになる頃にはこんな田舎町を出てメキシコ・シティに移り、ロサンゼルスに、ニューヨークへ進出するんです。

あなたの大きくなった会社を経営できるようにね。」

それを聞いた漁師は、コンサルタントに尋ねました。

「そうなるまでにはどれくらいかかるのかね?」

「15年、いや20年くらいですかね」

「じゃあ、その後はどうなるの?」

「そのあと?ここからが最高ですよ!」

コンサルタントは興奮気味に答えます。

「あなたの会社を株式公開して、自社株を大々的に売り出すんです!あなたは巨万の富を手に入れ、一躍億万長者に成り上がるのです!」

「巨万の富か…それで、その次は?」

コンサルタントはにんまりと笑い

「大金を持って早期リタイヤですよ!あなたの好きなことがなんでも出来るんです!
日が高くなるまでゆっくり寝て、漁にでて魚を少しばかり獲る。戻ってきたら子どもと遊んで、妻のマリアと一緒にゆっくり昼寝をして、夜には村の仲間たちと一杯やって、ギターを弾いて楽しんだりできるでしょうね!

「…それなら、今もうしているよ」

ルールに縛られることについて意識していないんじゃない?

ルールに縛られることについて意識していない

友達と歩いている時に、友達が信号を律儀に守っているのを見て、ふと子供の頃を思い出した。

 

自分は親父と外を歩いていて、信号を守った試しがない。

 

車が全くないところで信号を守るべきなのか?

「車が来ないという確信があれば信号を守る必要は無い。」

という持論を持っていた私は小学校1年生の時点で既に赤信号を無視していた。

 

交通安全習慣みたいな学校外での取り組みがあり、保護者が横断歩道に立って旗を持ち、子供たちが信号を守って止まるようにとしている時ですら何度か無視していた。

 

もちろん車が来れば待つしかないが、車がいなければそもそも信号を守る意味はない。という思いだった。

 

信号を守ることは大事だが、例外もある。

実際のことを言うと、信号を守る意味はある。

私の周りでも信号を守らずに命を落としてしまった人もいる。

何も知らない子供に赤信号では止まって、車が来るかを確認して青信号になってから渡るというルールを伝えることは大事だが、誰もいない道路ででも赤信号を律儀に守っているのは時間の無駄でしかないようにも思える。

 

今のところ、信号を無視したことでは、運よく私は1度も事故にあっていない。

 

近所で、信号を無視した大人に付いていって撥ねられた子供の事故があったがそれと自分が信号を守らないこととは別の話だ。

 

絶対的な自信があるから信号を無視する。

車が来ても、車の速度と自分の歩く速度をおおよそ概算している。このことを20年以上も行っていると考えると轢かれるはずがない。

 

律儀に教えを守る人は洗脳されがち

話しを戻すが、律儀に言われたことを守る人がいる。

 

その人達は、考えていない人が多い。

その行動になんの意味があるのかを考えていないから簡単に洗脳されてしまい、洗脳されていることにも気づかないまま歳を取っていく。

 

信号は一つの例だが、お金を貯金することも、一日3食食べることも洗脳だ。

考えを意識していないと、自分には不利益を被るルールにしがみついてしまっているということもある。

 

そこの意味を本気で深く考え理解したら、常識と言う壁にぶつかる。

しかし、私が会って来た人の中でも常識にぶつからない人はかなり多い。それだけ考えている人と言うのは少ない。

 

信号を守ることは大事な事と言うのは相違ない。

しかし、それがどんな状況でも同じと言うように、謎のパターン化していることで損をしていないだろうか、ということを一度見直してみないといけない。

 

考えることが人間の強みなのだから。

薬剤師国家試験は人間関係を壊すこともある?

薬剤師国家試験で壊れる友情

薬剤師の国家試験の結果発表日

私は6年生の薬学部を卒業した。

 

薬剤師の国家試験は2月の終わりに行われ、結果発表は3月の終わりだった。

 

これだけ聞くとなんともないが、細かく見るとこれはかなり狂っている。

3月の終わりと言う時点で、卒業もしてしまっていて、就活も終わっている状態だ。

 

ほとんどの人に当てはまるが、卒業旅行なども発表前に組んでいるということだ。

 

結果が出るのは就活が決まってからがほとんど

そもそも6割くらいしか受からない試験で、この状況は企業側としても迷惑な話である。

 就活が決まっていた学生が国家試験に落ちてしまっては採用する予定の人数が大きく狂う。

それを補正する時間さえ十分に与えられないからだ。

 

実際には国家試験が終わった時点で、国家試験対策をしている専門の予備校が問題の答えを、予備校の教師が解いてネットに答えを上げてくれるので、それを参考に自己採点ができる。

 

それでおおまかに合格か否かがわかる。

 

既に組んでしまった卒業旅行の存在

大体3月に多くの人が卒業旅行に行くのだが、「自分は落ちている。」というのが分かりつつ、受かっている人と一緒に旅行に行くことなんてざらにある。

 

私の知っている中では、仲の良い6人グループで1人だけ落ちているなんてこともあったが、その1人の立場だったら私は旅行に行かないだろう。。。

(その人は旅行に行っていた強メンタルだったが。)

 

長い目で見れば人生なんてどうにでもなる。

だが、この若い時期には見えなかった。

私は国家試験に一発目で受かったが、万一落ちたらというのことを考えたら友達を友達と思えるのだろうか?と疑問に思った。

 

国家試験に落ちるとどうなる?

国家試験に落ちると、状況は思った以上に悲惨なものだ。

私の友人も何人も落ちてしまった人が居たが、

 

内定をもらっていた企業に謝罪の連絡を入れ、免許がもらえないから働けないと言わないといけない。

当たり前と言えば当たり前だが、悲しい。

そして、年間200万円ほどかけて予備校に通うことになる。

 

先手を打つ

私の場合はこれが嫌なので、仲の良い友人と4年生の時に旅行を終わらせた。

 

国家試験の勉強もみんな5年生から始めるが、私はゴミ捨て場で先輩が捨ててた過去問を拾って2年生から始め、みんなが勉強を始める頃にはほとんど終わっていた。

 

そして、みんなが勉強で大変な間に、一人で何か所か旅をしていた。

今考えると論理的な行動だった。

 

大勢と同じように行動していては、大勢と同じ結果しか得られない。

人はそれぞれ違うのだから、自分にとっていいような行動をとらなければいい結果なんて得られない。

 

誰もが分かっているはずなのに、そのような行動をとる人は意外にも少ない。

世の中はなんて非合理なんだろう。と思ってしまった一日だった。

あなたは何故マスクを付けているか説明できますか?

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あなたはなんでマスクを付けていますか?

マスクではウイルスの侵入なんて防げない。

最近ではマスク警察と言う言葉も、使われる回数が減ってきたように感じるが、マスクを付けないでコンビニやお店に入ると、店員さんによっては

 

「マスクをしていただかないと入店をお断りしております」

なんて言ってくることがある。

 

みんな未知のウイルス?(既に2年ほど経っているので未知ではない気もするが、、)

に怯えて何をしていいのか正しい判断が出来なくなっているのかもしれない。

 

たまに患者さんと会話をしていて、なんでマスクをするか分かりますか?と高齢の方に聞いてみると

「ウイルスから身を守るために決まっているでしょ」

なんていう答えがほぼ100%返ってくる。

 

この時点で、なんでそれを行っているのかを考えていない人が多いという風にも思える。

正しく理論をつけて返答をできる人は意外にも少ない。

 

マスクの隙間とウイルスの大きさ

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あなたはマスクでどれくらいウイルスの侵入を防げるかをすぐ説明できますか?

 

 

ちなみに答えは

不織布マスクの隙間 5㎛

コロナウイルス   0.1㎛

 

ちなみにコロナウイルスの大きさは、ゴマ粒1つの1万分の1になる。

 

不織布マスクでもきちんとセットして、あご、ほっぺた、鼻の部分の隙間をできる限りないようにしないと防げるものも防げなくなる。

 

基本的にはウイルスは大きさで見れば入り放題だ。

 

マスクでできることは?

マスクでは飛沫を防ぐことが出来るという。

 

会話をしたときや、くしゃみなどで唾液が飛んだ時の小さな唾液の粒だと思っていただきたい。それが飛沫であり大きさはマスクの隙間と同じ5㎛ほど。

 

しかし、実際にマスクで飛沫を防げたとしてもウイルス自体の侵入は防げなけれ感染から体を守れないようにも思える。

 

マスクをすれば感染を防げるなんて言うのは少し論点がずれている。

もしマスクで感染を防げていたのなら、みんなマスクをしているのに1日1万人も2万人も日本で感染者は出ていないはずだ。

 

マスクはみんながうるさいからしょうがなくつける

マスクを付ける理由は?と聞かれたら、

 

「まわりがマスクしろとうるさいから」 と私は答えている。

 

私は外を歩く時などはマスクを外しているが、マスクを外した状態では人と話をしない。外でマスクをしても、歩いている時などは熱中症のリスクも上り、呼吸もよけいに浅くなり体にむしろ悪い。

 

マスクをしてない時のリスクと言えば、急なくしゃみや咳で飛沫を飛ばす可能性がある。

電車でもそうだが、もし言葉を発しないならマスクは必要ないのではないかと私は思っている。

 

マスクを付けることがデフォルトになってしまった現状で、何故マスクをしているか今一度多くの方に見直してほしいと感じた。

 

言われたことだけやっていればいいという人が多ければこの国は何も変わらないままだ。

人の足を引っ張るのが仕事の人になってないか?

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言ってることがおかしい人

 

薬剤師として、ビジネス目線を駆使して働き始めてから思うことがある。

 

言っている目的が理に適ってなくて、おかしい人

と会うとそれを強く感じる。

 

先日もあった。

「体が攣ってしまうので、攣りに効く薬が会ったら処方してほしい。」

というので病院に聞くと、

医療事務「もう一度病院に戻って来て先生ともう一度話をするように伝えて下さい。」

 

という。歩いても1分もかからない距離だが、患者さんは、それは嫌だという。

先生ともう一度会ってまで話をしたくない。と。。。

 目的が明確になっているか?

 

目的は 攣りを改善したい。

はずなのに、それに勝る先生に会わない。という新たな目的ができてしまっている。

 

こういう矛盾したような人はたくさんいる。

 聞くだけ聞いて行動しない人

 

「ビタミンCが欲しいんだけど、行きつけの病院の先生は頑固で、何回頼んでも出してくれない。」

という知り合いがいるので、

「私が行っているクリニックなら出してもらえるよ。」

と言っても行こうとはしない。

 

そして、「また先生出してくれなかった。」 と言って同じ病院に何度も通い愚痴り続ける。

 

バカすぎて会話する気にもならない。。。

 

こいつはいったい何がしたいんだ? と思って自分から関わることをやめてしまった。

 自分自身の目的の明確化ができていない

 

言い方は厳しいが、

目的の明確化ができていないので、話していても大して面白い話が出てくることも少ない。

というより頭の整理ができていないので頭が根本的に悪い。

 愚痴を言っていても何も変わらない

 

頭が悪いというのはいくらでも改善できる。

考える習慣をつけて実践できているかどうかということだ。

 

それをやらないので、ずっと変わらない。愚痴っても何も変わらないことを知らない時点で人のアドバイスを聞いてこなかった結果だ。

 

自分が「これを欲しい」と思ったなら、どうやって手に入れられるかを考え、それをやるために不可能なことがあるなら愚痴を言っても変わらないので諦めるしかない。

 

それでも愚痴を言い続けて変わらない現状を嘆く人が意外にも多い。

 他人の足を引っ張る

 

その人たちの仕事は人の足を引っ張ることだ。

 

相談しておいてアドバイスされてもそれを聞かない。

ただアドバイスを貰うということを繰り返して他人の時間を奪うことが無意識的に趣味みたいになっている。

 

こんな人とは関係を続けていてはいけない。

あなたのエネルギーは蝕まれて行ってしまう。それは本当にもったいない。

 

私ができるアドバイスは、そんな人と出逢ったらできるだけ会話をせずに、

「あなたは人の時間を蝕む悪い生命体だ。」と言って離れればいい。

 

それを言われた時の反応は人生ではなかなか見れないような興味深いものだろう。

問題児と、いい子の決定的な違いとは?なぜ問題児は大人になって出世するのか?

 お金がかかるところ

頭の悪い人には経費がむだに取られる 

仕事をしていると思うことが良くある。

仕事のできない人は出来る人より余計にお金がかかる。

 

ミスが多ければ書類や紙を無駄にする量が多かったり、仕事が遅くて残業が多い人は、会社からして電気代や残業代も発生する。

 

とにかく効率が悪い人ほど無駄なコストがかかる。

 

仕事ができる人は、どうやったら早く処理できるだろうか、と考え無駄が少なくなる。

物質的なものだけでなく、時間にしてもそうだ。

子供は大人と逆 

 

面白いことに、子供の時はこの逆だ。

何も手をかけなければお金はかからない。

習い事をさせたり塾に行かせたりすればお金がかかる。

 

バカな子供にはお金はかからないが、バカな大人にはお金がかかる。

バカな子供がとんでもないことをやらかして莫大な請求をもらうことがあるが、メジャーな状況だけに目を向けてみたい。

 

この根底には何があるのか、、、

 

それは思考力だ思考力が子供も大人も成長のカギを握っている。

  思考力が人生を左右する

 物事の仮定を考えて実際に行動に移してそれを見直して、、、ということができるかどうかだ。

その習慣がついている人とついてない人では大人になって天と地ほど差が出てくる。

もはや大人になってから大きく差がつくこともある。

 

親が考えられなければ、子供も同じように考えない子供になる。

私が出会ってきた人の中でもこれはほとんどに当てはまる。

 

成長過程での変化もあるが、これはかなり稀だ。

 

「親の言うことを聞いていれば平気だ。」

なんて考えている人は社会に出てなんの役に立たない。奴隷と同じようなもので、言われたことしかできなくなる。

子供の頃の問題児は出世しやすい? 

 

よくこんなことを耳にする。刑務所に入ってしまうほど見境が無かったり、認知的な問題を抱えている人は別として、ヤンキーとか問題児は大人になって出世しやすいなんてことをよく聞く。

 

確かに私の周りでも問題児だった人は意外に出世したり起業していたりする。

問題児は、一般的ないい子と何が違うのか?

問題児といい子の違い

 

私自身もとんでもない問題児だったが、私の見てきた限り問題児は、答えがない問題に直面することが多い。

いい子と言われる子たちは、親や先生のいうことをしっかり聞く都合のいい子であり、親や先生のいうことが世界だと思ってその通り動いている。

 

喧嘩して友達が立ち上がれなくなった時にどうすればいいのか。

学校の備品をパクって遊んでいたのをばれた時にどう対応するか。

深夜に警察に補導された時に何を言うか。

タバコが先生に見つかった時にどうするか。

 

など、いちいちどうすればいいかなんて学ぶ余地もなかったことに出逢うことが多い。

 

仕事も同じで、答えは自分で導き出すしかないことが多い。

この経験が問題児に、問題解決能力と言う力を鍛えさせているのではないかと思っている。

 

自分で考えられなければ損をする。そして、他人に迷惑をかけ続けることになる。

しかし、それに気づける人はかなり少ない。

 

仕事はつねに早くできるためにどうすればいいかを考えることが大事だ。